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傍聴席@名無しさんでいっぱい:
死刑制度に関するよくある勘違い
その1「死刑には抑止力がある」
「仮に全ての刑罰を死刑にすれば犯罪は確実に減る。これは死刑に抑止力があることの証拠である」という論法は「軽犯罪者も重犯罪者も同じ心理状態下」という非現実的な極論を前提にしているために起こる勘違いである
刑罰の抑止効果は「比較的正常な判断が可能な軽度の犯罪」において認められ、精神異常・錯乱・深い思い込み・洗脳状態で為される殺人等の重罪について同じ有効性を当て嵌めるのは、拡大解釈による錯誤
「死刑が有る方が思い止まる確率が高まる」という見解は、以下に示すとおり「遵法精神に溢れ死を恐れる一般人の自己投影」「犯罪心理学に疎い無知で善良な市民が抱く希望的観測」「気が触れる程の強烈な殺意体験のない幸福者による楽観主義的錯覚」に過ぎない
怨恨による発作的衝動的な殺害の瞬間は、猛烈な快感に我を忘れ死刑はおろか逮捕すら頭にない。恐怖を回避する場合も、目の前にある恐怖に比べたら死刑など脳裏を掠めもしない
突発的なケースでは概して発想が偏狭で近視眼的になるので、己の死刑の可能性を考え始めるのは専ら殺害後、事件発覚を知った後、若しくは逮捕後である
本当に死刑に怯え始めるのは早くても殺害直後。まだ事を起こしてもいないうちから真剣に「死刑が怖い」と戦く者はいない
「犯行前に本気で死刑を恐れない」ということは、抑止にならないということである。尤も、事前に心底から恐怖するだけの豊かな感性と想像力があれば、元より殺人を余儀なくされるほどの視野狭窄に陥ることもなかろう
計画的なケースでも「バレないor逃げ遂せるor証拠ないから不起訴・無罪or有罪でも酌量され死刑はないor死刑上等」と思い込んでいる場合は、「死刑の」抑止力は働かない
「死刑だけは避けたい」という思惑が、同じ自己保身の「発覚だけは」「逮捕だけは」より優先されるとも考えにくい
何故なら「少なくともバレなければ絶対死刑にならない」ので、考慮するのは発覚防止のみでよいからである(実際、犯罪者はこうした「楽で都合のいい解釈」が大好きである)
「バレない」「逮捕されない」と思い込めば「死刑になるかも」まで考えが至らず(仮に至っても中途半端)、逆に途中で「バレるかも」「逃げ切れる自信がない」等と思い止まったなら、抑止しているのは死刑ではなく「警察権力」である
従来の未成年や廃止後に見られるであろう「死刑が(になら)ないから殺害した」という主張は、「真の動機を誤魔化す為の口実、奇を衒った虚勢、歪んだ自己顕示欲の現れ」のいずれかである
殺人の動機・目的には怨恨や物欲・性欲、恐怖・不安回避など様々な背景・要因があり、それらを差し置いて「死刑制度の不存在」が殺害動機になることはない(逆に「死刑制度の存在」を動機にした拡大自殺は実在する)
「死刑がなければいつ人を殺すか分からない」「死刑がなかったら殺すのに」「こんな奴殺して自分が死刑になるなんて馬鹿らしい」等は、己の遵法精神の高さや憎しみの強さを強調・形容・アピール・認識するための虚勢・欺瞞の域を出ない
本当に恐怖しているのは「相手の抵抗、逮捕、殺人行為そのもの」等なのだが、自尊心がそれを隠すのである
殴り殺す最中ふと我に返り「これ以上やったら死刑になるかもと思い止まった」としても、その抑止の原因は「己を客観視できる程度にまで冷静さを取り戻したこと」「相手の死を畏怖したこと」であって、「死刑制度があること」ではない
純粋に「逮捕・懲役は覚悟しているが死刑だけは避けたい」「相手の死ではなく己の死刑が怖い」なら、犯行後自首して全て自供し反省すれば済む
そうしないという事は、実際には死刑以外の事柄(逮捕、世間体、殺人行為そのもの等)を恐怖しているか、さもなくば「さほど切迫した殺意ではない」ということである
つまり「死刑」とは分かりやすい象徴・大義名分に過ぎず、殺害を止める真の理由は「必ず」別に存在する(「金が欲しくて強盗」の弁明が、真に欲しいのは金そのものではなく「金で買える食料・高級ブランド、借金苦からの解放等」なのと同じ)
続く