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先天性労働者:
# 人間は類的存在である。自由な意識的活動(=労働)が人間の類的性格である。
ところが、資本主義では、その労働が、この生活手段としてだけ現われる。
それゆえ、私的所有や隷属状態からの社会の解放は労働者の解放によるしかないと同時に、
この解放の中にこそ一般的人間的解放が含まれている。
# 動物はその生命活動と直接的に一つである。疎外された労働は、人間の生命活動を、
かれの生存の一手段に逆転化している。疎外された労働は、人間から彼の生産の対象を奪い
とることによって、人間から彼の類的生活を、彼の現実的な類的対象性を奪いとり、
そして動物に対する人間の長所を、人間の非有機的身体すなわち自然が彼から取りさられるという
短所へと変えてしまうのである。
# 人間の類的存在が人間から疎外されているという命題は、ある人間が他の人間から、
またこれらの各人が人間的本質から疎外されているということを意味している。
人間の疎外、一般に人間が自分自身にたいしてもつ一切の関係は、人間が他の人間に対して
もつ関係において、始めて実現され、表現される。
# 労働者の活動が彼にとって苦しみであるならば、その活動は他の人間にとって享受であり、
他の人間の喜びでなければならない。彼には疎遠で敵対的で力づよい人間がこの対象の主人
であるようにふるまっている。彼は生産をしない人間の、その生産を生産物に対する支配を生み出す。
彼が彼自身の活動を自己から疎外するように、彼は疎遠な他人にそのひと自身のものでない活動を獲得させる。
# 私有財産は、外化された労働、すなわち外化された人間、疎外された労働、疎外された生活、
疎外された人間という概念から、明らかにされる。私有財産は外化された労働の一帰結に他ならない。
私有財産は外化された労働の産物であり、他方では、それは労働がそれによって外化される手段であり
、この外化の実現であるということができる。
# 労働者の解放のなかに一般的人間的な解放がふくまれ、一般的人間的な解放が労働者の解放のなか
に含まれる。これは生産の労働者の関係のなかに、人間的な全隷属状態が内包されており、
またすべての隷属関係は、この関係のたんなる変形であり帰結にすぎない。