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先天性労働者:
# ヨーロッパブルジョア経済学である国民経済学から明確になったことは、
国民経済学は物質的過程を諸公式として、法則としてとらえるが、
何故か概念的に把握しようとはしない。
すなわち私有財産の本質から生まれてくる問題を確証しないで、
すなわち必然的発展を捉えないで、偶然的事実としてだけとらえ、
すべてを人間の所有欲に帰し、全ての事実を競争の視点からのみ捉えようとしている。
# われわれは、現に存在する事実から出発する。ここで最大の問題点は労働すればするほど、
商品をより多く作れば作るほど、労働者の価値低下がひどくなる。
しかも自分自身を商品として生産するので、自分自身の価値低下を深刻化する。
労働の生産物は、労働者から独立した力として、労働者に対立する。
労働者が骨身を削れば削るほど、生産物は疎遠な存在となり、労働者に対立する自立的な力をなる。
# 労働者が彼の生産物の中で外化するということは、彼が対象に付与した生命が、
彼に対して敵対的に対立するという意味する。
しかし国民経済学は労働の本質における疎外を隠蔽している。
労働の外化とは、労働が労働者の本質に属していないので、そのため自分の労働において、
幸福と感ぜずに不幸と感じ、肉体と精神の消耗と頽廃を感ずることである。
だから労働者は、労働の外部ではじめて自己のもとにあると感じ、
労働の中では自己の外にあると感ずる。労働そのものが他人の労働、強制された労働なるが故に、
彼を苦しめる労働となる。
# 労働していないとき彼は家庭にいるように平安を感じ、労働している時、彼は苦痛を感ずる。
これは、労働者が所有者に隷属している労働により私有財産が生まれる。
<疎外された労働>によって、人間は彼の生命活動、類的存在から疎外され、私有財産が生まれる。
労働者の労働は他人に隷属しており、労働者自身の喪失である。労働者は、食うこと、飲むこと、
生むこと、着ることに人間的な諸機能を、自分の自発的行動を感ずるのみである。