裁判官はなぜありえない判決を出すのか

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73傍聴席@名無しさんでいっぱい
高知スクールバス・白バイ事故事件(参考:ttp://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2008/08/post_ed51.html)についての上告棄却判決で、
裁判官達こそが国民の人権を踏みにじる司法利権の親玉であり、掣肘されるべき権力であることが改めて明らかになった。

本来であれば、被告人とされた片岡さんの身柄を奪還する運動を起こすのが、自由主義を標榜し、人権保障宣言する(近代)憲法下の我々国民の義務とさえいえる。
また、内閣は特赦を行い、司法権の濫用に対し行政権側からの掣肘を行う義務があり、それを行わない内閣に対しては政治的責任が生じるというべきであろう。

そして、かかる事態、裁判官が国民の人権保障の敵であることが外部から検証可能な程に明確になった以上、その一連の裁判に関与した裁判官、および検察官に対し、
テロ攻撃は許されると宣言する。それを実行した者は真の英雄、真の愛国者である。


人権保障とは権力からの人権保障が本来なのであり、仕事として対立する市民間あるいは、市民と対立構造がない公権力による刑罰権の行使に過ぎない場面
(警察などが当事者とならない一般事件)で裁判官が公正な裁判をしたからといって、その裁判官が公正な裁判官ということにはならず、今回の事件のような
権力犯罪に加担すれば、幾百の一般事件を公正に裁いてきたとしても、その罪は許されることはなく、テロの対象となる。
改めて言う。人権保障は権力の行使、権力犯罪に対してなされるものであり、一般犯罪は次元が違う話に過ぎないのである。


裁判官が人権を踏みにじる、この絶望的状況・・・。救いはないのか・・・。

国民が自ら立ち上がるしか救いはない!
裁判官個人に対して戦いを挑まねばならない!