白バイ隊員衝突死で高知県警がブレーキ痕を捏造

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69傍聴席@名無しさんでいっぱい
「裁判官は公正であるべき」というよりむしろ「被告の味方」の立場、
「適法手続(=デュー・プロセス)」の観点から、検察を追及するのが役割
だと思う それを忘れると、国家権力の暴走に容易に繋がるんじゃまいか?
現場のDQN的な仲間意識を根拠に、警察が一般人に罪を着せるなんて、
利己的な金目当ての汚職なんかより2重に罪が重い←正に「国家権力の暴走」
それを許したのは、検察・警察に癒着した「司法」←この責任は3重に罪が重い

「痛快!憲法学」(小室直樹/集英社インターナショナル)
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第2章◆誰のために憲法はある p.24 ●「有罪率99パーセント」の恐怖
〜刑事裁判では検察側に1点でも落ち度があれば、直ちにアウトです。
少しでも法に触れる捜査をしたり、手続き上のミスが1つでもあったり、
真実の証明が少しでも不完全ならば、検察は負け、被告が勝つ。鵜の目
鷹の目で検察側の落ち度が無いかを調べるのが、裁判官の本来の仕事です。
つまり、裁判官というのは、あたかも中立で公平な存在の様に思われている
けれども、本質的には被告の味方であって、検事の敵なのです。
この事がどうも日本人は分かっていない。私が
「裁判で裁かれるのは、検察官。真実を探求するなんて二の次」
だと言ったのは、正にこういう意味なのです。〜日本のマスコミが、
検察の調書は信用出来る、警察の言う事が真実であるという前提で、
何もかも権力寄りの報道をしてしまうのは、大岡越前や遠山の金さんの
イメージが頭にあるからなんです。しかし、日本の警察は有能で、間違いは
1つも起さない等と考えられますか。そんな事はあり得ないというのは
先年起きた例の「松本サリン事件」でもよく分る話ではありませんか。
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【「憲法」は国家権力を縛る(=暴走を防ぐ)為にある】というのが憲法の精神
裁判官の人格に過大な期待を持つのはよそうぜ