「へえアンドレア・デル・サルトがそんな事をいった事があるかい。ちっとも
知らなかった。なるほどこりゃもっともだ。実にその通りだ」と主人は無暗《
むやみ》に感心している。金縁の裏には嘲《あざ》けるような笑《わらい》が
見えた。
その翌日吾輩は例のごとく椽側《えんがわ》に出て心持善く昼寝《ひるね》
をしていたら、主人が例になく書斎から出て来て吾輩の後《うし》ろで何かし
きりにやっている。ふと眼が覚《さ》めて何をしているかと一分《いちぶ》ば
かり細目に眼をあけて見ると、彼は余念もなくアンドレア・デル・サルトを極
《き》め込んでいる。吾輩はこの有様を見て覚えず失笑するのを禁じ得なかっ
た。彼は彼の友に揶揄《やゆ》せられたる結果としてまず手初めに吾輩を写生
しつつあるのである。吾輩はすでに十分《じゅうぶん》寝た。欠伸《あくび》
がしたくてたまらない。しかしせっかく主人が熱心に筆を執《と》っているの
を動いては気の毒だと思って、じっと辛棒《しんぼう》しておった。彼は今吾
輩の輪廓をかき上げて顔のあたりを色彩《いろど》っている。吾輩は自白する。
吾輩は猫として決して上乗の出来ではない。背といい毛並といい顔の造作とい
いあえて他の猫に勝《まさ》るとは決して思っておらん。しかしいくら不器量
の吾輩でも、今吾輩の主人に描《えが》き出されつつあるような妙な姿とは、
どうしても思われない。第一色が違う。吾輩は波斯産《ペルシャさん》の猫の
ごとく黄を含める淡灰色に漆《うるし》のごとき斑入《ふい》りの皮膚を有し
ている。これだけは誰が見ても疑うべからざる事実と思う。しかるに今主人の
彩色を見ると、黄でもなければ黒でもない、灰色でもなければ褐色《とびいろ
》でもない、さればとてこれらを交ぜた色でもない。ただ一種の色であるとい
うよりほかに評し方のない色である。その上不思議な事は眼がない。もっとも
これは寝ているところを写生したのだから無理もないが眼らしい所さえ見えな
いから盲猫《めくら》だか寝ている猫だか判然しないのである。吾輩は心中ひ