岸和田・中3虐待学校も近所も知っていた
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040128/mng_____tokuho__000.shtml 【社会部発】無残な姿に少年の悔しさ見る
やせ細って病院のベッドに横たわる十五歳の少年の十数枚の写真がある。この写真は岸和田虐待事件のすべてを物語っていた。
ほおはこけ、目元はくぼみ、あばら骨は白い皮膚に浮き上がっていた。手足の骨は細い木の枝のよう。
少年が長期間、だれにも看護されていなかったことを示していた。
全身の床ずれは膿(うみ)を持ち、最もひどい尾てい骨付近の床ずれは、皮膚が壊死(えし)して、ピンポン球大の穴が開き、黒く変色していた。
少年を診断した医師は、「ナチス・ドイツの収容所の子供のようだ」と語ったが、
写真が示す体重二四キロのむごい姿は、医師の描写が決して大げさではないことを裏打ちしていた。
ここまで痛めつけることは、通常の神経ではできないはずだが…。
少年は虐待だけでなく、恐怖感と絶望感を植えつけられて、実父と内妻から逃げ出すことができなかった。
「顔や手に青いあざがいっぱいできていた。一目で虐待と思った」
「あんまりやせていたのでパンをあげるといったのに、(少年は)『怒られるからいい』と断っていた」
「心配して何度も手紙を書いたが、母親が受け取りを拒否した」
同級生が察知した少年に対する虐待を、学校や児童相談所は結局、確認できなかった。
少年は昨年八月ごろから、何も食事を取らず、寝たきりになった。三カ月後、目を見開いたまま反応がないという瀕死(ひんし)の状態で病院に運ばれた。
少年の気持ちを想像して捜査関係者が言う。
「体力もなくなり、もう逃げられないと悟り、わざと食事をしなかったのではないか。
むごい姿で発見されることで仕返ししたかったのだ。彼の意地だったんだ」
少年のこの抵抗は親だけでなく、SOSをくみ取れなかった大人たちすべてに対してのメッセージではないだろうか。
意識不明の少年は将来、社会科の先生になることを夢見ていた。今はただ回復を願うだけだ。(佐々木正明)