武満徹 純正スレッドPart3

このエントリーをはてなブックマークに追加
294武満徹など新垣隆に比べれば雑魚
琵琶奏者 中村鶴城

オーケストラと日本の伝統楽器を用いた曲といえば誰もがすぐに思い起こすのが、
<<ノヴェンバーステップス>>だと思います。これはオーケストラと琵琶、尺八のための曲です。
この曲の中で武満さんが試みた事は、西洋と日本の音楽の融合ではなく、逆に相異する文化風土を対峙させ際立たせる
事でした。そのような手法を用いたのは、安直な融合やブレンドなどという発想では、惨めな結果しかもたらさない事を
十分承知していたからです。つまりそれだけ事の難しさを感じていたと言うことでしょう。

大雑把名言い方ですが、西洋の古典音楽は、調和、ハーモニーを一つの理想とし、自己の外側にミクロコスモスとしての構策的曲を創作り、
その然るべき結果として、オーケストラというかたちに至りました。一方、日本の古典音楽と楽器は、調和より寧ろ、個々の楽器の持つ強烈な個性と
その音色を大切にし、自己と音を一体化して、そのミクロコスモスの中に自己を開放しようとします。

私はこの全くベクトルの違う音楽と楽器を、ひとつの曲の中で何の違和感もなく共存させ融け合わせることはほとんど
不可能に違いないと思っていました。
295武満徹など新垣隆に比べれば雑魚:2014/02/09(日) 12:19:51.74 ID:ghfk4V5E
琵琶奏者 中村鶴城2

しかしその可能性を示す大曲が誕生しました。佐村河内守作曲<<ライジングサン>>です。
四年前に彼に出会い、いくつかの曲を聴かせてもらったとき「あらゆる音のカオスを内包(もった)
人」という強い印象を受けました。今回、この曲の録音に参加させていただき、遂に「カオスからコスモス
が産み落とされた」と直感しました。そもそも、音のカオスを内包する彼にとっては、融合という言葉自体が意味のないことに
違いありません。

この作品を聴けば、誰しもそのことを納得するでしょう。それ程に素直で、自然な韻(ひびき)なのです。
西洋と日本という二つの音楽のテクスチャーの相剋は少しも感じられません。勿論、それだけではありません。
圧倒的に美しい旋律とダイナミズム、繊細と勇壮、歓喜と悲哀、聖なるものと悪魔的魅力・・・・、それは無数の
輝石の鏤められた大河の奔流(ながれ)のようです。

佐村河内守という二十一世紀の才能、おそろしい才能が出現したのだという想いに、胸があつくなりました。