交響曲と性交についての学術的考察

このエントリーをはてなブックマークに追加
17分74秒
交響曲(シンフォニー)はもともと声が響きあうという意味である。
人間の営みで声の響き合うもっとも根源的な行為、それは性行為である。
やはり何らかの関連性はあると思う。
第一主題と第二主題なんてまさに男と女。それが交わるのが展開部。イクのが再現部。
ブルックナーは3Pを導入してしまったが。
27分74秒:2007/07/14(土) 14:03:00 ID:RNdgHVw7
そりゃ交響曲にかぎったことじゃなくて音楽すべてに言えないか?
あるいはまた、DNAそのものが交わりの根源であって、、、、


うーん。解釈でどうとでも言えるな。
37分74秒:2007/07/17(火) 19:21:41 ID:Vff+7ZPr
まぁまぁ、難しい話しはそれくらいにして、お茶でもどーど
つ旦

ところで、オリヴィエ・メシアン先生は何故鳥基地●だったのか。
諸氏の忌憚ない意見を求む。
47分74秒:2007/07/18(水) 07:41:37 ID:cNp5kW5g
鳥の鳴き声がメインになってる曲はぜんぶばかみたい
 
シュトックハウゼンも徒弟時代,
メシアンが鳥基地害になってしまったと思いつめ,
鬱をこじらせ睡眠薬中毒になってしまったらすい
5オナニーは6歳から:2007/07/18(水) 09:16:03 ID:xBNWAWmr
あるスレで非常にうまいことを言った人がいたんだが、その人は
「その人自身のアプリオリの型にはまった形式を持つ音楽を美しいと感じるんだろう。」
と言った。
実にうまいことを言ったもんだ。
でだな、いわゆるアンチなどが「音楽的価値はない」と言うときの音楽的価値とは「大多数の人が持つアプリオリな型にはまった形式」ということではないだろうか。
このアプリオリな型は人それぞれ違って、その型にはまる形式や近い要素を持つ形式を人は美しいと感じるわけだが、
特殊なアプリオリな型を持つ人間は少ない。少数派だ。
それに対して非常に一般的なアプリオリな型、もしくはそれらに近い型を持つ人間が多数派なわけだが、
この多数派の持つアプリオリな型にはまった形式を「音楽的価値」と考えているのだろう。
となるとやはり一方的な解釈にすぎないわけだ。
簡単にいっちまえば「自分が理解できないものは悪いもの!」
この一言につきる。
67分74秒:2007/07/18(水) 09:20:51 ID:xBNWAWmr
今気がついたが誤爆したな。すまん
77分74秒
ところで携帯からはスレたてれないのでつか。