>>34 新しい技法を知ることに興味はあるのはわかるが、
その中でどれが一番優れた技法かということを論ずるのはあまり意味のないことだと思う。
それに、仮に「これが一番新しい技法だ!」というものがあったとして、それを知ったところで
それを使って曲を書けば偉いのかというと全くそうではない。
以前書いたと思うが、ショスタコーヴィチ、オネゲル、ストラヴィンスキーが晩年十二音技法を試みているが、その頃にはすでにセリー・アンテグラルですらそれに対するアンチが生まれつつあった。
そう考えると常に新しい技法に目を向けたくなる気持ちはわかるが、それらはあくまで作曲家個人の
個性に過ぎないわけであって、新しい技法のフォローに走ったとしても、それに自分の個性を
反映させなければ全く意味のないことだと思う。
ちょうど昨夜ORFでイアンク・ドゥミトレスクの曲を放送していたが、彼などはスペクトル楽派を
もろに踏襲しつつも、ルーマニアの民族性を活かして独自の語法に発展させた好例の一人。