楽器屋の店員はいちいちウザイよ、マジで

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501戸田美智也
社会人という呼称を与えられる立場になってから、すでに2週間以上が経った。
大学の卒業式は後1週間ほど後だが、「学生気分」を良しとされない世界で、
働いて、いや、生活している、と表現した方が適切だろう。
正直、ここまで、今の「自分」が下らない、社会からすれば順応のできない人間とは
予想していなかった。「なんとかなる」と心の隅で、心臓のような立ち振る舞いで感じていた。
あくまで、隅の、マイノリティの意見であるはずであるのに、当時の自分を鼓舞するが如く立ち振る舞っていた。
漠然と、今の自分でも何とか通用すると思っていたの「だろう」。
実際に働いて2週間。こんなにも自分が「使えなく」「情けない」人間だと思い知らされるとは・・・。
毎日、毎日が惨めで醜い自分を確認する作業になっている。もちろん、上司から一度でも言われたことは、
出来うる限り、同じことを言われないように対処しているつもりではある。
だが、自分が、この会社の組織の中で機能しているように思えない。
こんなにも、周囲の人たちの足枷になったこと、それを現実以上の、
被害妄想を加味したリアリティでもって自分を打ちのめしたことは、
これまでの人生にはなかった。
方向性やジャンルを無視し、「痛み」の度合いで計るのならば、
それは准一やhideさんの死の方が遥かに大きいことは事実だ。
だが、人は、同じ種類の痛みには、順応するようにできているようだ。
例えば、前述のような「人の死」に対しても、一定の免疫はできてしまっている。
もちろん、想う人が亡くなれば、その時は、生の中にある最大の苦痛として自己を壊すと想う。
それでも、やはり、准一の時という始めての「死」経験よりは、立ち直りの術を既知している分、
ポジティブな世界観を取り戻すことに、時間はかからないと想う。
唐突に、履歴書を送付して雇って貰ったので、当然のように同期はいない。
もともと、愚痴があるとしても、親友である人たちにしか言葉にしない性質なので、
同期の人がいない問題は、あまりない。
ただ、自分と同じように、組織の足枷になっている人が周囲にいないだけに、
あまりに、あまりに、惨めな自分が浮き彫りになる。
自分でさえ得体の知れない、始めて感知した感情たちが、私を分解する。
自己の行動は、社会という鏡に照り返され、己を示す。醜い生命体だと、
嫌というほど知っていたはずだが、こんなにも醜いとは知らなかった。
こんなにも醜い私でも、過去に出会うことの出来た素晴らしい人たちのお陰で、1つの事実を知っている。