音楽理論を勉強する 4拍目

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375ドレミファ名無シド
文章力・読解力・経験で下回るおまえが何を教えられるというのだ?
言うに事欠いて「背伸び」だの、「句読点が見難い」だの。
経験ていうのは212のように本に書いてあることを鵜呑みにせず、
自分の理解を下敷きにして再構成する過程のことだ。
もちろん普通の意味での経験もある。
数式と文章が混在する論文で、
数式の後に句点や読点が置かれる見た目の悪さを回避するという事情に思いが至らない。
このことを知らないこと自体は問題ではないが、
自分より能力が上回る人をまさに自分が劣っている能力に関して批判するという滑稽さが問題だ。
いちばん背伸びしてんのはオ・ま・え。まあ目的は文章の修練だもんな。
そのためには実力とは異なる人物像を演じることも役立つのかも知れん。頑張れ!!
言っていることが100年ぐらい時代遅れだ。
生まれとかお里を重要視するなんて、士農工商の時代ではないのか。
100年ぐらい前には人種差別もあった。
様々な差別はなくなったわけではないけど、
少なくとも100年前と同じ形ではいま存在していない。
音楽理論の話題に戻すと、ブルースやコード表記が出現のは100年ぐらい前だろうか。
いまさらそれを憎んでも仕方ない。
理論を学べば名曲ができるのか、という意味での質問ならば本物の愚問だ
教養を重視した古い上流階級から、理論を得た新階級に向かって、
難癖をつけるとしたら、極論をぶつけるような言い方になるのだろう。
上品ぶった言い方であっても、難癖の愚問はよくない。
376ドレミファ名無シド:2012/03/02(金) 17:24:14.52 ID:iVZlo5Vi
余談として、俺の現代的な文学的教養をここで披露しておくと、
大宰治の斜陽という小説がむかしの教養ある上流階級が向かった末路を描いているし、
大宰治本人も、理論が力をもつ未来に対して何らかの絶望を抱いたのかもしれない。
とはいえ、いまさらこの時代を憎んでも仕方ない。