日本生まれのフィリピン人カルデロン・のり子さん(14)と不法滞在の両親の強制退去問題が
大きな注目を浴びたが、フィリピンには同様のケースで、のり子さんのように在留特別許可を受ける
ことができず、強制退去となった子供も多い。彼らは、生まれ育った日本への思いに揺れながら、
環境の違いを乗り越えようと努力している。
フィリピン南部ミンダナオ島の北サンボアンガ州。不法滞在が発覚し、2007年3月に一家で強制退去
となったフロレンシオ・パストルさん(44)の3人の子供は、ヤシの木が生い茂る農村地帯で暮らす。
1991年に来日、横浜市で建設作業員として働いたパストルさんと、数年前に別れたフィリピン人女性
との間に生まれた子供らだ。
中学進学を目前に突然送還された長男ジュマール君(15)は「日本語しか話せないから、つらかった」
と語る。現地の学校に編入したが、教師や級友の話は理解できない。「横浜に戻って友達に会いたい」。
通学が苦痛になり、毎日早退しては日本から持ってきたテレビゲームに没頭した。
同州などミンダナオ島西部は農業以外は目立った産業がなく、生活は厳しい。パストルさんは家を出て
ルソン島で住み込みの警備員になった。
残されたジュマール君は、言葉が通じない祖母と簡素な家で暮らすうちに「自分は日本を追い出された
フィリピン人。くよくよしていても、しょうがないと思った」。
辞書を片手に、級友に現地の言葉ビサヤ語を教わった。帰宅後は、ビサヤ語と授業の復習に励んだ。
学校の女性教師は「会話に苦労しなくなり、成績も学年トップ。本当に頑張った」とほめる。ジュマール君
の目標は、奨学金をもらい、日本の大学で勉強することだ。
▽東奥日報
http://www.toonippo.co.jp/tokushuu/scramble/scramble2009/20090825.html 依頼がありました
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1251178653/255