隔離】クラシックギターArena【別室】part4

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823ブタ耳
>>797
>その演奏で何が言いたいのか伝えたいのか、そこをまず説明しなきゃ話題は発展しない。

自分の中にある何らかの「感情」とか、「イメージ」とかを、演奏を通じて伝えたい、
そういう意識は、私は、実のところ、まったく持っていません。
「何かを伝えたい」とか、「何らかのイメージを表現したい」とか、「人を感動させたい」とか、
こういう思いは、演奏する際にはすべて「雑念」に属するものではないでしょうか。
更に言えば、練習時に考えるような「フレーズはここで切ろう」などという意識さえ、
演奏時には捨て去るべきではないかと思っています。

ただ、「禁じられた遊び」を練習しながら曲想をイメージしている時に、
なぜか何度も心に浮かんできたイメージはあります。
あの映画に出てきた、風車小屋に住んでいる「フクロウの瞳」です。
あの透明なまなざしに、私は一種の「かなしみ」を感じます。
フクロウは何かを表現しようと思っているわけではないでしょう。
しかし、その澄みきった瞳は、見るものに言葉にしがたい感銘を与えます。
私が実現したいのは、そういう「透明な」音楽なのかもしれません。

そもそも、「音楽性」という言葉を中心にして語ることは、なぜかある種の抵抗感を覚えます。
「畢竟、音楽を音楽たらしめているものは謎だ」と思っているからでしょうか。

人はなぜ音楽を聞くと感動するのか、という問いを突き詰めて行くと、
語ることのできない大きな神秘に直面することになるでしょう。
その謎の前では、ただ畏敬の念をもって沈黙を守るのが、
限られた認識能力しか与えられていない私には、分相応ではないか?

そういう疑念が根底にあるので、「音楽性」について直接語ろうとすることには、
どうしても躊躇してしまうのかもしれません。
簡単に言えば、私にも「音楽性」とは何かよくわからないのです。