隔離】クラシックギターArena【別室】part4

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226ハント
>>218
>ある曲を聴いて感動する。
>その時自分が感じとっているのは、「感情」と呼べるものなのか、と。

「感情」とか「想い」とか、そういう「言葉」自体の意味とかにはあまりこだ
わることはないと思いますよ。ある曲を聴いて、感動して、何かを感じとって、
弾いてみたい(音にしてみたい)と思うことを、僕は「表現欲求」という言い
方をしています。そしてその欲求を満たすための「演奏技術」が必要だと。

>その明晰さに、私は一種音楽的な感動を覚えるのですが、
>ケヤキが表現しているのは、果たして「感情」と呼べるようなものなのでしょうか?

風景全体に感動を覚えて、そこに感じるものを音にしたい場合もあるでしょうし、
風景の中の「冷たく澄んだ空気の中、葉を落とし尽くして立っているケヤキ」の
1本を見て、その姿に人間を重ね合わせて、その姿に感じる何か(例えば哀愁)
を音で表現したい場合もあるでしょう。
僕は、音楽に全て感情のようなものが存在しているとは思っていません。
例えばinoさん演奏の面白いベース音の動きの禁遊ですが、おそらくinoさんは
「面白い響きを楽しんでほしい」というのが演奏目的(表現目的)なのではなか
ろうかと思います。そして僕もそのつもりで楽しませていただきました。
もし「悲しみを感じて欲しい」というのが演奏目的であったのなら、僕的には
感動も何も感じません。しかし、それでももしかしたら悲しみを感じて感動する
人がいるかもしれないのです。表現者、聴く人、それぞれ表現目的(意図)も
受け取り方も千差万別だということでしょう(何度も言ってますがw)
音楽とはそういうものではないでしょうか。

ところで、前スレ>700さんの発言に「作品は、デザインしてから具現化」という
言葉が出てきます。「禁遊」をどうデザインするかは人それぞれです。
僕は映画の少女の心の中を僕なりに想像して、僕の感性で音表現しました。
まぁ、自分的には満足しています。聴く人の感じ方は僕にはどうしようもない
ことですw