1 :
ドレミファ名無シド:
Johann Sebastian Bach【よはん・せばすちゃん・ばっは】(1685〜1750)
バロック音楽の最後で最大の作曲家であり、「音楽の父」と呼ばれ
る。音楽家一族のバッハ家の中でも最も著名である。アイゼナハに
生まれ、父、兄の音楽教育を受け、各地で教会オルガン奏者をつと
める。1708年にはワイマール公宮廷付き楽士となる。その後、ケー
テンの王侯所属楽団の楽長をつとめ、1723年にライプチヒのトマス
教会の合唱長に就任する。もともとバッハ家は家系的に視力が弱か
ったが、バッハは幼い頃、月明かりをたよりに楽譜を書き写したこ
となどにより早い時期から視力を弱めていた。晩年は眼病により失
明し、1750年、65歳で目の手術を受けるが、過酷な手術で体力を失
い、まもなく没する。一説によると手術したフォン・テイラーはと
んでもないインチキ医師だったともいわれている。バッハの音楽は
宗教的であり、探求的であり、品格が高い。対位法の完成、十二平
均律の採用などにより今なお多くの様式は模範とされる。
俺【おれ】
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3 :
ドレミファ名無シド:03/03/06 12:18 ID:MIesf4iq
Robert Johnson【ろばーと・じょんそん】(1911〜 1938)
ミシシッピ州ヘイズルハーストに生まれる。家庭環境は複雑。少年時代
にWillie Brown, Son Houseのブルースに触れる。彼らや彼らと同時代に
生きた多くのブルースマンのテクニックを短期間に吸収し、独自のブル
ースギター奏法とファルセット唱法でデルタブルースの第一人者の地位
を築く。27歳のとき、他人の女に手を出したのが原因で毒殺される。
2【に】
馬鹿
ジョン・スコフィールド【じょん・すこふぃーるど】(1951〜)
コンテンポラリー・ジャズ・ギター界で、人気、実力ともにナンバー・ワンの
超個性派ギタリスト。アメリカ、オハイオ州デイトン生まれ。バークリー音楽
院を卒業後、74年からプロとして演奏活動を始める。77年に初リーダー作”ジ
ョン・スコフィールド”を発表。78年からはスティーブ・スワロウ、アダム・
ナスバウムとのトリオで活動。エンヤに”ラフ・ハウス”、”ライブ'81”など
を録音した。83年、マイルス・デイヴィス・グループに参加。”スター・ピー
プル”、”デコイ”、”ユア・アンダー・アレスト”などで好演した。また、
マイルス・グループでの活動と並行して、84年からはグラマヴィジョンにファ
ンク路線の”エレクトリック・アウトレット”、”ブルー・マター”、”フラ
ット・アウト”などを録音。89年、ブルー・ノートに移籍。ジョー・ロバーノ
とバンドを組み、”心象”、”グレイス・アンダー・プレッシャー”などでジ
ャズ・ファンクを追求する一方、パット・メセニーやビル・フリゼールら同世
代のギタリストとの共演作も録音した。95年には、マイケル・ブレッカーやジ
ャック・ディジョネットらと共に、ハービー・ハンコックのニュー・スタンダ
ード・バンドのワールド・ツアーに参加。その後、ヴァーヴに移籍。アコース
ティック・ギターをフィーチャーした”クワイエット”を録音。さらに、ヴァ
ーヴでの2作目”ア・ゴー・ゴー”では、ジャム・バンド・シーンの尖鋭”メデ
スキー、マーティン&ウッド”と共演し、新たな音楽コンセプトを提示した。
続く”バンプ”でも、ジャム・バンド・シーンのアーティスト達とコラボレイ
トするなど、常に独自の創作活動を続けている。01年1月の”ワークス・フォー
・ミー”では、ブラッド・メルドー、ケニーギャレット、クリスチャン・マク
ブライドといったアーティストと共演している。
豊臣秀吉【とよとみひでよし】
日本ではじめてパンティーを手にした人
へー、そうなの?
やるな猿。
10 :
山崎渉:03/03/13 17:09 ID:???
(^^)
犬泉しげる【ディボーン】
楽器板に常駐している厨房、精神プロファイルは以下の通り。
自分は特別な人間だ、パンピー(一般のピープル)とは違うんだという意識から、小市民的な生き方を軽蔑し、
そういう人達と一緒にされることを嫌います。裏付けとなるものがなにもないのに、一目置かれる存在である
ことに非常にこだわります。あるいは、自分という人間は特別な人しか理解することができないのだと思った
りします他人に対する共感に乏しく、他人を自分のために利用します。他人の業績を横取りして自分のもの
にしたりします。優越感に浸るために他人を利用します。他人の存在とは、素晴らしい自分を映し出す鏡であ
る、くらいにしか思っていません。ですから、他人から批判されたりすると、すぐにカッとなって怒ります。あくま
でも自分は優れた存在なのです。もともと、裏付けのない優越感ですので、話のつじつまを合わせるために
嘘をつくこともありますが、本人には嘘をついているという意識はあまりありません。ときにはホラ話のように、
話がどんどん大きくなっていって、どこまで本当なのか分からなくなります。
有名人に近付くことで自分を特別な存在だと思い込んだりします。政治的な大物に近付いて自分の誇大感を
膨らませることもあります。自分も同じ世界の人間になったように錯覚して、裏付けのない空想的な野心にの
めり込んだりすることもあります。
続き
すべてに言えることは、ありのままの自分が愛せないのです。自分は優越的な存在でなければならず、素晴
らしい特別な存在であり、偉大な輝きに満ちた存在でなければならないのです。愛すべき自分とは、とにかく
輝いていなければならないのです。しかし、これはありのままの自分ではないので、現実的な裏付けを欠くこ
とになります。
しかし、本人にしてみれば、高慢だと言われてもぴんと来ないかもしれません。それよりは、他人や周囲の出
来事を過小評価していると言った方が理解されやすいかもしれません。自分より優れたものを認めたがらず
馬鹿にしているので、他人の能力や才能が見えまず、他人の優秀さを無視します。そして、他人を見下したり
軽蔑したりすることに快感を覚えたりします。
妄想の種になるようなものがないときは、他人の欠点を捜し出して見下したりします。ありとあらゆる理由をつ
けて他人を見下します。貧乏人の癖に、不細工な顔をしているくせに、頭が悪いくせに……。実際にどうであ
るかということよりも、とにかく見下すことができればそれでいいのです。
しかし、現実というものがひたひたと足元に忍び寄ってきます。砂の城は波によって崩されていきます。妄想
という砂の城を維持するためには、現実の脅威に対して妄想を補強し続けなければなりません。やがて、妄
想が維持できなくなったとき、悲惨な現実にうちのめされてしまうのです。