1 :
Museの精神:
まず、「音楽を聴くことが好き」であることと、「音楽を創る、演奏する」こととでは、全くの別次元と理解すべきである。
「創る、演奏する」と言う立場は、まず基本にクリエーター的な感覚が必要。
それは、「自ら音楽を創造する」と言う大前提があるからである。
そして「何をもって創造するか」は、自分の感性を掘り起こすことが基本である。
自分の感性が、既存の音楽の影響でしか成り立たないとするのならば、その人の感性は所詮そこまで。
既存の音楽があるか否か問わず、自分の感性を表現できる人が「音楽を創造」できる人である。
音楽に限らず、芸術性が問われる世界ではこの考えは一先ず基本。
絵画にしろ彫刻にしろ、小説(文章表現力)の類にしろ、同様。
プロ(生計を立てているか否か問わず、音楽を本業としている連中)と言えども、実際には奥の浅い感覚を持った人が多い。
プロが、今の時代に音楽の行き詰まりを感じているとするのならば、それは今の時代に原因があるのでなく、プロの連中本人の問題。
奥の浅い感性で音楽は語れまい。
技術的にどうか、感覚的にどうか、などのもの以前に、音楽の捉え方が幼稚なプロは結構多い。
だから、今の時代の音楽に行き詰まりを感じたりする。
その結果、音楽を聴く側の人も同様なイメージを抱くかもしれない。
どうもあるプロは「ビートルズの出現で音楽は完成をみた」と言ったらしいが、それはそのプロ本人の創造力の無さを表している。
創造の世界に終わりや完成は無い。
また、「作曲におけるコピー(パクリの類)も手段の一つ」と言う言葉も、所詮は本人自ら創造できる力がないことを表している。
いずれにせよ、プロと呼ばれる連中は本物も居るが、幼稚な人も居る。
幼稚な連中が音楽を誤った方向へ進めている部分が多少ある。
音楽を知る人間は、音楽の楽しさ以外にも、その底には恐ろしさも同居していることを知っている。
果たして、今のプロに、その奥底に眠る音楽の恐ろしさが見える人はどの程度の割合だろう…。
プロの方々、今の自分は本物の音楽家?
1さん、助けにきたよ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
⊂_ヽ、
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/ へ \
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レ ノ ヽ_つ
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/ /| ズサー
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ノ ) し' (´⌒(´⌒;;
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(´⌒(´⌒;;
>>3 確かに、
>>1と比べて
伝えたいことのわかり易さは比べ物にならないな。
視覚的な訴えが半端じゃない。
>>1 そういうわけで、そんな長文誰も読まないから、
もっと勉強して下さい。
8 :
むーわ!: