女子高生リンチ殺人コンクリート詰め事件 第3回

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72こいつら人間じゃねぇ!!!
 昭和63年(1988年)11月25日、アルバイトの帰り道で不良少年に自転車を蹴飛ばされた。その少年は走って逃げたが、代わりにやってきた少年がこの少女に近付き、優しい言葉をかけて彼女を誘い、近くの倉庫で不良のふりをして脅し、ラブホテルで彼女を強姦し、その後、自転車を蹴飛ばした少年の家に彼女を監禁した。(要は、二人はぐるだった。)この後、この少女は5,6人の少年に次々と強姦された。そして、その時に2,3人の少年に顔などを殴られ、頬の高さが鼻の高さをこえるぐらいまでに脹れ上がり、一目で暴行を受けたとわかるようになった。「このまま彼女を解放したら、このことが発覚する」と、思った犯人たちは、さらにこの少女を監禁し続けた。最初は、性の対象としか見ていなかった犯人たちは、やがてこの少女を暴行の捌口にしていくようになる。しかも、ただ殴るだけでなく、ライターのオイルをかけて火を点けるなどのことも平気でやったのだ。火を点けられて火傷した肌は、化膿し、やがて膿が出る。すると、その膿から出る悪臭に対しても少年たちは腹を立て、さらに彼女にたいして暴行を加えた。そして、過ぎた暴行のせいで彼女が動かなくなれば、また、火を点けた。彼女が動けば「こいつ、まだ動くぞ!」とばかりに暴行を加え続けた。終いには、ナイフ投げの的にもしたのだった。そんな犯人に対して、少女は「殺して!」とまで言うようになった。
 そして、昭和64年(1989)1月4日(のちに平成元年と改められる)リーダー格の少年が、麻雀で負けた腹癒せに、少女に暴行を加えた。この後、3人の少年が加わって、計4人での暴行になった。結果、それが最後の暴行となった。少女はついに息絶えた。それでも犯人たちは、「動け」とばかりに、少女に暴行を続けた。暴行に飽きた犯人たちは、それでも彼女をビニールテープで手足を縛り、遊びに出かけた。
 帰ってきた犯人たちが、少女の体に触ってみると、すでに彼女の体は死後硬直により、ガチガチだった。焦った犯人たちは、少女の死体をドラム缶に入れ、コンクリートを流し、そのドラム缶を東京都絵江東区の埋立地に放置した。そして、約3ヶ月後の昭和64年(1989年)3月28日、その埋立地から発見された。