『両国予備校』の実態 part2

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670平成2年度の両国生
で、あそことの自分流の付き合い方ですが、
金づるにされるのではなく、利用するのです。
これは、一浪で某農業系のNHKの紅白で数をカウントしている学校に、
入学した中学の同級生にそのやり方を聞いて、
その友達の言う通りにして、
ターゲットを絞って悪く言うと使える先生を選んで質問攻めにして、
理数英に就いては幾らか吸収しました。
でも、さすがに理系がメインだけ有って国語や社会はお話になりませんでした。
ですから、国語は独学、社会は河合に潜りで、
今は故人となった某地理講師の追っ掛けで池袋や千葉に通っていました。
これが唯一のリフレッシュだったかな。
話が面白かったし。知識にもなったし。
そんな訳で国公立は到底無理でしたが何とか大学と名の付くところに入る事が出来ました。
何せ、特別基礎科ですから、、、(笑)
結論としてここに居たという事は自分の自制心の無さの証みたいなもので、
他では恥ずかしくて話すことは出来ませんが、
その自制心を金と多くの圧力で買うという意味では両国は悪くは無いと思います。
でも、やはりその後ろめたさのせいか両国駅ではあれ以降絶対に降りないし、
電車に乗った時でも校舎の見えないポジションを確保します。
因みに私の巣窟は雑居ビルの悪名高き6号館&12号館です。
校舎や寮の番号は東京と大阪を通じての通し番号だと聞きました。
後、確かメインの11号館の隣の校舎は元家具屋です。
自分の服役以降に買収したようです。
あの番号の付け方は金蔵の見栄っ張り振りの表れですね。
後、あそこで学んだものは代返のテクニックですかな。
これは寮生が帰りが遅いと寮監に自習してきた証明で使われるようで、
通学生の自分はよくその依頼を受けていました。
前に書いたアホな寮生の一人が彼女が居て、
その彼がホテルでエッチしている間、
自習室で彼の名前で自習していました。
そんな訳で私の両国での収監生活の思い出です。