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宅間と集スト:
あれだけ壊れる地盤を幼少の頃から築き上げてきたと考えると、むしろ、
集ストに遭っていなかったという方が難しいという見方もできるかもしれません。
ここで問題になっているのは、いわれなき集ストだと思われますが、この場合には
多少いわれある集ストとでも言えばよいのでしょうか。
「何の罪もない子どもを・・・・」とよく言われますが、子どもは親のコピペを
まるで自分の意見のように言いますからね、まだそこまで考える能力ないだろう
というぐらいの子どもがね。で、それを聞いた親たちが「こんな子どもですら
わかることが、あいつにはわからない」と、さらに拍車をかけたりすることも
考えられます。
人格の基本となるのは、親の愛情だと思うのですが、残念ながら親の愛情を
得られなかった人というのは、世間では「後で苦労する」という表現でいわれて
いますが、多かれ少なかれその重荷を一生負っていくのだと思います。
宅間の場合は、その重荷が莫大だったのではないかと思います。
遅くとも成人したら、自分で解決しなければならないというのが、今の世間の
ルールになっていますが、自分でどうしようもできない人に自分で何とかしろと
いうのは、それはそれで言う側は楽をしていると言えないでしょうか。
親に愛を注がれなくとも正常に生きている人は、親以外に愛情を注いでくれた人が
いるのではないかと思います。それを、親に愛情を注がれなかったという一つだけの
条件だけで比べるのはおかしいと思います。
宅間に何があったのかは、宅間の死刑が執行されることによって永遠に封印される
わけで、これまで言ってきたことも何の確証もないことですが・・・・・。