手塚治虫は無能な3流マンガ家 act2

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47名無しんぼ@お腹いっぱい
虫とかその辺の人の表現力ってのは、凄かったんですか?
小学校真ん中ぐらいの僕(12、3年前)は火の鳥読んで、ドラゴンボールくらいしか
知らなかったので、テーマの部分や泣き所なんかで大きな衝撃を受けたんですけど、
演出については、幼稚というか分かり易すぎるというかそんな感じがありました。
今日に至るまで、他の虫作品やその他の人の作品を読んで、その感じは、古い作品全般に、
そのままあります。
この感じは、虫の表現技法をいろんな人も取り入れて、結果、
ありふれたものと感じるようになった、というのとは違って、何というか、
底が浅いんです、安直なんです、わびさびしおりほそみかろみが無いんです。
当時(漠然と当時)の漫画(漠然と漫画)が低俗だったから、相対的に、
映画やなんかの手法を巧く取り入れた(これは確かに偉大だと思う)虫が
もてはやされたんじゃないのかと思います。
そして、虫を基にした盤の上で赤塚とか梶井とかFとかも描いたので、
そういった古い作品全般の演出が、同じように安直なのではと思います。
古いモノがつまらないのは時代のせいだろ、と思われるかもしれませんが、
古いモノは古いと感じます、服も映画も小説も。でも虫等の漫画は、幼稚と感じるのです。
文学とか普通に読んで、見せ方とか真剣に考えていれば、あんな安易にはならないと
思うのです。
あるいは、近代の漫画がまだ新しいメディアで、草創期に当たるその頃の読者には
高度な演出など理解できなかった為に、あえてレベルを落としたのかもしれません。
(なんか、俺は高度な物が分かるって言ってるみたいでスミマセン)
そうすると、漫画はズイブン進化してきたなぁ。山本直樹、黒田硫黄、松本大洋、
榎本俊二、冨樫義博、、、、。
あるいは、僕は演劇なんかみてようちだなぁとホザクかもしれません。
(ゴメンナサイ、長くなりました、頭が悪いせいです)