手塚治虫は無能な3流マンガ家 act2

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大塚の手塚批判は「戦後まんがの表現空間」(法蔵館)の第一部1章及び終章
に収録され、今年になって講談社現代新書、教養としての<まんが・アニメ>
にほぼこれを踏まえて加筆、修正されたものが収録されている。

簡単に言うと、大塚は、手塚が「ぱふ」のインタビューで、彼自身がデッサン
・コンプレックスを持っているゆえに、自分のまんがは絵ではなく記号の
パターンで出来ている、と語った「まんが記号説」に着目して、手塚自身の
言う、「アニメ的な動きを加えないと生身の人間を表現しえないまんがを起源
としている戦後まんが全体を、今日に至るまで戦後漫画表現としての限界を
根本から規定しているものとして、批判する。そして写実的でリアルな表現
を選び取れなかったことで生身の身体=性的身体をうまく描くことが出来ない、
と指摘しつつ、終章では鉄腕アトムを皮切りに、ピノコや百鬼丸など、手塚
まんがに「成熟を阻まれた身体を持つ子ども」のモチーフが頻繁に現れること
を指摘し、彼らを戦後民主主義日本を象徴するもとして規定している。
(これはあくまで手塚にかかわる抜粋に過ぎないが、このアイデアが全体
を規定しているといえるだろう、要約に不備があれば指摘してくれ)

大塚の戦後まんが論についてはうなづける面が全くないとは言わないが、彼
自身が吾妻ひでお信者として手塚原理主義者顔負けの賛美をするところとか、
漫画論として良く検証もしないで決めつけたりという批判すべきところが
多々ある。現在の大塚は戦後民主主義の擁護者というスタンスで活動して
いるけれど、彼は漫画論を始めたとき、漫画と天皇制、と言う非常に興味深い
テーマを発見したと思う(戦後民主主義は戦後天皇制と密接に結びついて
いるはずだ)のだが、彼はそれについて言及することを回避しているとも
思われる。彼は天皇制を真っ向から論ずることを回避しつつ(彼には「サブ
カル天皇論」という連載があったらしいが、本にはまとまっていないのでは
ないか)「彼女たちの連合赤軍」のように扇情的なタイトルの本などを出して
商売人としてはうまく立ち回っていると言えよう。
(すべての戦後漫画の起源は手塚である、と信者達が言うのは、天皇制の
変奏であり、手塚は漫画界で自らが天皇の座につくことを結局拒否しなか
ったと言える。それは彼の一番の関心がアニメ製作にあったからであろう。
ちなみにかつて一億総中流などと言われたが、中流イメージとは、アメリカ
中産階級をイメージさせた天皇御一家がモデルになっていて、これはサザエ
さん一家と比較すれば判りやすいだろう(サザエさん=当時の美智子妃、
波平が昭和天皇)。
なんだかんだ言って日本人は天皇制を強く支持しているのである。