〜みなもと太郎「風雲児たち」茶屋 其の参拾八〜

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577名無しんぼ@お腹いっぱい
今のような時代だからこそ、我々は福沢諭吉の著した『脱亜論』を思い出すべきなのかもしれない。
 

「日本にとっての不幸は、“中国と朝鮮”である」
「この2国は古来文化は近かったはずなのに、日本と精神性が全く違う」
「情報が発達し、近代文明や国際法を知る時代になっても過去に
こだわり続ける中国と朝鮮の精神は千年前から変わっていない」

「もうこの2国が国際的な常識を身につけることを期待しても意味がない」
「東アジアの一員として互いに繁栄できる、という幻想は捨てた方がいい。日本は、中国や朝鮮と絶縁し、欧米と共に進んだ方がいい」

「中国や朝鮮に“ただ隣国だからといって”特別な(親しい)感情を持って接するのは間違いである」
「この2国に対しては国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい」
「悪友と親しくする者は、他人から同類と見られることを避けられない」


これが書かれたのは明治18年(1885年)、つまり120年前である。
当時の日本にここまで本質を見通せる賢者がいたことに感動すると同時に、120年前の福沢諭吉が「中国と朝鮮の民族性は“昔から”変わってない」と述べている点に注目したい。

そう、“今も”同じなのである。