家康が言った「漢の約束」ってのは光秀と秀吉どっちとの約束なのかな
付け髭もキチンと描いてるね…
下手したら物語が急加速するかもな。
なんせ秀吉死後の織部は隠居して表舞台ではあまり活躍せず、ひたすら茶の湯三昧だったから……
>>954 歴史の舞台裏での暗躍を描き放題ですとな
秀吉最期の回、素晴らしかったです。
これまで他の小説・ドラマなどでは秀吉には溢れるような人間的魅力があり、
それによって多くの武将・人々が自ら臣従するように描かれることが多かった。
この漫画では今までほとんど、秀吉のそういう面を強調することがなかったが、
今回の臨終一大イベントで、へうげものの秀吉も充分に人間的魅力があったのだと
感じさせてくれた。
立ち読みしながら涙ぐんだ。
他に思ったことは
・あれだけ大物大名たちが合意しているのなら、別に三成に隠す必要はないのだがな
・屋内に土を運んで瓜遊びってのはちょっと無理が。意外性を持たせるためでしょうが
構にゃーせん
これも夢よ
>>937 男の約束に阻まれて2年も悩んでる姿は
人間臭くて魅力的だが、天下人としては不足なんだろう
もう、ハナから裏切る気満々だったとなると
最悪といえば最悪だが、力強さと苛烈さもひしひしと伝わる
今回は何故あんな掲載位置に…
てっきり休載かと…
今回は色々言いたいことはあるけど一言
このマンガをリアルタイムで読めて幸せだわ、俺
>>936 番組のスポンサーがひとつ見つかったな。
天下人ともいえど夢は儚いのう。。。
人の夢と書いて儚いと読むのです
しかしなんで新日本ハウスなんだ
新日本ハウスに馴染みがないのが
これほどくやしいとは……
足袋を無言で掴んで持ってくのが格好良いな
てか何故足袋?
967 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2010/11/04(木) 15:24:47 ID:rrp7DUh90
>しかしなんで新日本ハウスなんだ
何と言うか一度聞いたら忘れられないインパクトはあるし
良い曲だけど俗っぽい、というかCMという時点で俗以外の
何者でも無いというとこが秀吉っぽいとオモタ。
>>954 > 下手したら物語が急加速するかもな。
> なんせ秀吉死後の織部は隠居して表舞台ではあまり活躍せず、ひたすら茶の湯三昧だったから……
全然ちがう、むしろこれからが本番。
有名な歴史的エピソードはあまりないが
状況的に最高権力者の家康と存在をかけて闘うことになるよ、織部は。
一介の小大名なのに。
織部と三成の間には「三成が織部に恩義を感じてる」という関係性もあるし、関ヶ原まで飛ぶとしても
織部が東軍につく経緯とそれを受けての三成の反応くらいは描くと予想。
>>966 この漫画では家康が明智に足袋をもらった事から謀反の証みたいになってる
なぜあの場面でそれを配ったかはよく分からん
>>966 あのガラの足袋には、明智との想いが詰まっておるのだ…
新日本ハウスは、アーネスト・ホーストの声で思い出されるw
社名入れるのはどうかと一瞬思ったが、
新しい日本の家と考えると結構しっくりくる…かも
史実はよく知らんが、これから「織部好み」の大流行という
数寄者として栄華を極める時期が来るはずですな
ちょっと泣いた。
乙な笑いが、甲を求め続けた大名たちの業を洗い流してくれるんだな。
最期の言葉、秀吉が尾張弁使うのって他にあったっけ?
おねと二人きりの時は基本的に尾張訛だった。
10巻あたりだっけな?
おねに揉んでもらいながら尾張訛でしゃべってるシーンがある。
最期の茶室(確認しそびれたが黄金の茶室だったよな)を我が家に見立てて、
一仕事終えて家でかーちゃんに甘えるとーちゃんの図だからこその新日本ハウスなんだな。
(昨日ようつべでCM見るまで新日本ハウスってなんなのか知らんかったが)
茶を味わう場所が茶室からより気楽な茶の間へと替わってゆくのを暗示しているのかもしれん。
最後の足袋シーン、仕事人達が無言で小判を取るあの場面っぽい
>>970 >この漫画では家康が明智に足袋をもらった事から謀反の証みたいになってる
え
友情の証だと思ってたが
新日本ハウス
ハウス=家
新日本家
これはつまり、新しき日の本の統治者は家康 ということを示していたんだよ!!
有楽斎・・・あのズラはわざと狙ってやったのか?
それはともかく、元から愛情はないにせよ、蚊帳の外に置かれた淀君が気分悪くしそうだな
あれはしかし、戦場をともに駆けた連中と、生涯を共に過ごしたおね様じゃないと
お互い気持ちが伝わらんだろう。
☆この漫画はフィクションにて候。
特定の企業や個人をリスペクトしますが、
一番素敵で暮らしたい。
今週は信長、利休に並ぶ回だったなぁ。信長は華、利休はわび、秀吉は最後に楽を見出だした。
織部の最後と笑はどういった形で結ばれるのか楽しみだ
俺も足袋がよくわからん。謀反の証、家康につく証だとしたら
利家が取っていくのはおかしくね?
史実でも秀吉はおねが生涯1番て公言してるからな
女ったらしだけどその件でおねに気を使いまくるし、残ってる文とかみるとラブコメみたいで微笑ましいいw
最期に佐介ではなく織部正と呼ぶことで、
感謝と褒美と生きることを命じたことを全て公的にしたんだな。
本当に知能では最期まで衰えない秀吉だった。
本能寺の下りで家康相手にするときだけ笑顔じゃなかったことも含めて。
あの黄金の茶室が深いな
コボタンの時代到来や!!1
吉幾三ワロタ
994 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2010/11/04(木) 18:40:04 ID:/VfxczIE0
次スレ立てる
995 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2010/11/04(木) 18:40:25 ID:E2VoTWr40
【「空中茶室」の遺構発見=江戸初期建立、山腹から―石清水八幡宮境内調査・京都】
時事通信 11月4日(木)17時5分配信
江戸時代初期の大名で茶人の小堀遠州(1579〜1647年)が、親交のあった学僧の松花堂昭乗(1584〜1639年)のために建てた茶室
「閑雲軒(かんうんけん)」とみられる建物の礎石の遺構が京都府八幡市の石清水八幡宮境内で見つかり、
この茶室が高さ6メートル以上の斜面からせり出す類例のないものだった可能性が高いことが4日、分かった。
発掘調査している八幡市教育委員会が同日、発表した。
江戸時代中期の絵図で、がけに張り出した高床式の「懸造(かけづくり)」
とされていた閑雲軒の構造が、より鮮明になったと言えそうだ。
遺構が見つかったのは、同八幡宮がある男山(標高143メートル)の東側山腹。礎石は大半が堆積(たいせき)岩で
できており、直径は40〜50センチ。隣接する宿坊「瀧本坊(たきのもとぼう)」分も含め52基を確認した。
うち、がけ下から発見された3基は閑雲軒の東側の柱を支えていたとみられ、
市教委は、茶室床面とこれらの礎石との高低差は約6.5メートルで、
東西約5メートル、南北約5.5メートルにわたる茶室ががけからせり出す構造だったとみている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101104-00000083-jij-soci
そういや一コマだけコボタン出てるな
997 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2010/11/04(木) 18:58:35 ID:S+u5WstV0
今回の話はめちゃめちゃ良かった。ジーンきた。
次スレダメだった
>>985 前田利家は足袋をもらってなかったと思うけど?
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。