信長は共通点多いと思ったことあった。
信長と曹操も似ているイメージだから、そうすっと曹操とチェーザレも
共通点多いのかな。
ただ彼らと決定的に違うのは、庇護者(父親)の存在かなあ。
ま、本人がいっていたように、父親死後のことも充分考えていて
多分本来ならその計画通りにことが運んだはずなのに
唯一見落としていた点(父親死亡時に自分も死にかけていたこと)のせいで
目算が狂ってしまったとこかね。
>>949 野暮な指摘だけど、閑話休題って
余談をうち切って本筋に戻すときに使う言葉っすよ
モーニングの公式サイトにチェーザレの連載再開が大きく載ってたおw
956 :
955:2010/05/24(月) 07:38:12 ID:7QT7O7Ax0
作者公式サイト更新age
>>953 曹操は祖父が宦官の権力者で
かなり過保護に育ってる
信長も父信秀が、信長がうつけであるという噂を気にせず
廃嫡せずに伸び伸びと育てた
信長は信秀の正室の息子という記録はあるが二人いた正室のどちらが産んだのかは不明で
だから最初の正室が産んだから次の正室が嫉妬するほど可愛がっていたらしいよ
>>949 サファヴィー朝の創始者イスマーイール1世
イラン西北部のアルダビールを本拠とするイスラム神秘主義・サファヴィー教団の教主の子として生まれる。
白羊朝との戦いで一族が次々と倒れたため、幼くして教団の教主となり、五年間にわたってカスピ海南岸のギーラーンに潜伏。
1499年、12歳にして早熟の天才教主イスマーイールはついに起ち、小アジア東部のエルジンジャンの地に教団に従う遊牧諸部族を結集。
7000のキジルバシ(紅帽の徒)軍団が終結し、教主イスマーイールに無私の忠誠を誓う。
キジルバシ軍団は各地の敵を破りつつ東進し、翌々年には僅か14歳のイスマーイールの指揮のもと、3万の敵軍を破ってイランの首邑タブリーズに入城。
勢いに乗って瞬く間にイランとイラクを席捲し、1510年には中央アジアの覇王ムハンマド・シャイバーニーと決戦。
イスマーイールは機略に富んだウズベク族のこの英雄をあっけなく破り、ホラーサーンをも制覇。
シーア派をイランの国教とし、国家組織を整え、さらに各地へ「シャー・クル」(シャー(王)の下僕)と呼ばれる宣布使を送り込み、
オスマン帝国治下のアナトリアでもシャー・クルに率いられたシーア派の大反乱が起っていた。
この危機にあたり、優柔不断な父を廃して自ら帝位についたオスマン皇帝セリム1世は1514年、オスマンとサファヴィーの雌雄を決するべく、
5万とも10万とも伝える大軍を率いてアナトリアを東進した。イスマーイールは数万の軍を率いてこれを迎撃。
8月23日朝、両軍はヴァン湖の東、チャルディラーン平原で激突した。オスマン軍は当時最新の鉄砲と大砲を駆使し、
かつて敗北を知らないサファヴィー・トゥルクメン騎兵を翻弄する。イスマーイール自ら陣頭に立っての必死の奮戦と猛攻も空しく、
夜が迫る頃にはサファヴィー軍の敗色は明らかとなった。オスマン軍に両面から包囲されて絶体絶命の危機に陥った
イスマーイールは影武者の助けで辛うじて戦線を離脱し、それとともにサファヴィー軍は総崩れとなった。おびただしい装備や器物、
財宝はもとよりイスマーイールの愛妾までが戦場に遺棄されたままという徹底的な敗北だった。
これによってイスマーイールのプライドは粉々になり、キジルバシを服従せしめた神的なカリスマも雲散する。
心に回復不可能の傷を負ったイスマーイールは、以後二度と軍を率いようとせず、狩猟や酒色に溺れて37歳の若さで世を去った。
とても並みの人間とは思えぬほどの美貌の持ち主だったらしい。彼を実見したある西欧人の記録には、
「あまりに美しすぎて、邪悪なものを感じさせるほどだ」とある。
「禍々しいまでの美しさ」、「異様なほどに神秘的な人物」など多くの評が有り、神懸り的で異常なカリスマ性を窺わせる。
そればかりでなく天性の詩才に恵まれ、激情のほとばしりをそのまま詩にしたような、
精神を弥が上にも高揚させる激烈な詩を次々に作ってシーア派の教義を説き、トゥルクメン諸族の間に宣布した。
早熟の天才にして常勝不敗の将として、自らを救世主、神の化身と心底から確信していた。
古代スキタイ人の如く、打ち破った敵将の頭蓋骨に金箔を貼って酒盃とするなど、時に極めて過激かつ冷酷な振る舞いも見せた。
>>959-960 長文乙・・・ってコピペじゃないかw
12歳で大部族の長になり、14歳で万単位の戦に勝利って、ジャンヌ・ダルクや天草四郎よりすごいな
挫折に弱いっていうのがやたらに人間臭くて、チェーザレっぽいかな
チェーザレと違って無様な最期ではあるが
高校の世界史では、インドやアラブの歴史はヨーロッパにも劣らない量を学んだと記憶しているが
日本では小説などで取り上げられることはほとんどないね
さて、本編でチェーザレがトルコ経由でイスラム世界への接触が描かれるのはいつの日か・・・
>961 日本では小説などで取り上げられることはほとんどないね
うっかり地雷(宗教)を踏むのが怖いからな…
時代の寵児という点ではフランス革命時のサン・ジュストか?
イスマイールは、戦に敗れてからの凡人化が激しい方だったしね…。
小年時より非凡な才能を発揮し、軍を指揮しては敵の大軍を破った
というならエルサレム王ボードワン4世だって……
いやチェーザレとは全然違うけどさ。
ちょっと、いやだいぶ違うかもしれないけど、ヴァラキアのヴラド・ツェペシュとか。
彼の場合は幼少時にいろいろ過酷な目にあったせいで、必要以上に
現実的というか冷酷なことして敵味方から距離おかれたタイプというのかな。
すんごく近いところでは、傭兵隊長からミラノ公国の主におさまった
ルドヴィーゴ・スフォルツァ(イル・モーロ)はどうよ。
フランス侵略が描かれるようになったら絶対でてくるだろうな。
>すんごく近いところでは、傭兵隊長からミラノ公国の主におさまった
イル・モーロにその説明はちょっと違うと思うが。
甥の公爵を差し置いて、そもそも摂政として実権を握ってたし。
スフォルツァ家の初代ミラノ公フランチェスコと勘違いしてないか?
うひょーもろ勘違いしてたw
そうそう、ヴィスコンティ家の娘と結婚してミラノげとしたのは
フランチェスコだったw
ルドヴィーゴはフェラーラの妹娘と結婚したのと、彼らの母親は
ナポリ王女だし、ルクレツィアの再婚以前からフェラーラ姉弟は
早くでてきてくれるんじゃないかと期待してる。
まあ1492年中はまだ無理そうだけど。
最上義光とその妹の義姫がチェーザレとルクレツィアっぽい気がする…
小年時より非凡な才能を発揮し、軍を指揮しては敵の大軍を破った
竹中半兵衛だな
周囲からの評判は低かったようだが
冷酷非情という要素もお忘れなく
出来れば美貌も
>>969-970 まぁだから織田信長とチェーザレが引き合いに出されるんだろうね
美貌の妹もいるし調子のいい弟までいるしね
幼年時の信長は戦下手だけどな
何度も斉藤に敗れてる
まあ戦上手だった父信秀も斉藤には敗れまくっているがw
斎藤義龍が有能だったからな…子の龍興であっさりだったがw
比べるのが好きな人が多いな。
明日と聞いて飛んできました
仕事さっさと終わらして読みにいくぜ
予告のイラストってどんなだったんだろう、
今頃になって気になってきた。
単行本とかに収録されるならいいが。
「ルネッサーンス」という感じ@公式サイト、て
わかるようなわからんようなw
連載再開記念に明日モーニング買おっと。
>>976 黒い服着て髪が横に棚引く絵だったよ
単行本からの転載かな?
>>977 ありがと、描き下ろしでないならいいか。
ともかくも連載再開きたー!
1492年きたー
カトリック両王きたー
シャルル8世きたー
アンヌ・ド・ボージューきたー
遠景だけどアンヌ・ド・ブルターニュもいたー
重要な新キャラ続々登場で、それだけでwktk
オルレアン公はいつ出てくるのか気になっちゃうじゃまいか
ただ重箱の隅になっちゃうけど、ブルターニュは公国で王国じゃないし
アンヌはシャルルと結婚する前からブルターニュ公だったから
「王女」は二重の意味でおかしいと思った。
祝再開!
しかし今号は・・・・・まぁアレだ。
あの建物の絵が拝めただけで良かったと思います。
ムハマド12世とその母后アイシャのエピソードも出てくるかな?
ムハマド12世が泣きながら、これがアルハンブラ宮殿の見納めと見つめていたら、
「女のように泣き続けるがよい。男として己の王国を守りきれなかったのだ」
カアチャン カッコヨスギデス
今世界史でほぼダイレクトにチェーザレと同じ時期の事やってて今日それのテストだったんだが・・・
今週のチェーザレの冒頭の「1492年 1月 2日」ってのを見て今日のテストで最低でも1問間違った事が発覚したw
事柄を時系列順に並べる問題でコロンブスの新大陸発見を先に、レコンキスタ完了を後に書いてしまった
レコンキスタ完了が1492年と言う事は、
もうすぐクリストーバルさんが新大陸に辿り着くわけですな
>>978 ブルターニュ女公の意味の「princess」を、どこかで誤訳してたとか。
985 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2010/05/28(金) 00:49:39 ID:NSPVQVZw0
女公は「duchess」では?
英語だと Duchess of Brittany
仏語だと Duchesse de Bretagne
Prince of Wales も日本語訳ではウェールズ大公とかウェールズ公になるからなー
(この場合のPrinceは小国の君主・王くらいの意味)、やーこしーわ。
連載再開おめ〜アゲ〜
閣下の出番が楽しみだお
欧州語だと、爵位をもっている女性も爵位を持っている人の妻も同じ形だから、
日本語にすると、女公爵も女伯爵もみんな公爵夫人、伯爵夫人になっちゃうから困るね
中学生のころ、ルイ15世の公妾ポンパドゥール侯爵夫人・・・って、奥さんが王様のお妾さん
(公妾は公式の身分で、単なる妾ではないんだが)って、だんなは何してるんだよ・・・と不思議だった
ボンバドゥール夫人は、女侯爵だったんだよね
フランス王フランソワ1世の愛妾エタンプ公爵夫人(アンヌ・ド・ピスルー)みたいに
王が愛人の地位確保のため、適当な男と結婚させてだんなを公爵にしてやり
愛人を公爵夫人にした例もあるし(この場合だんなは完全な当て馬を受け入れるしかない)、
ルイ14世の愛妾モンテスパン侯爵夫人は、もともとモンテスパン侯爵の妻だったけど
自ら進んで王に取り入り公式寵姫の座げっと、遠くの地で軍人として働いていた
だんなのモンテスパン侯爵は帰ってきたら自分が寝取られ男になっていて大ショック、
「妻の貞操に対する喪」と喪服で宮廷にいくなど気概を示したけど結局王の不興をこうむり
投獄→領地隠居→強制離婚……だんな、哀れ。
ロドリーゴパパも、アドリアーナの息子オルシーノの妻ジュリアを堂々と寝取ってるしね。。
ジュリアにしてみりゃ権力はもとより男としての魅力からいっても夫よりロドリーゴの
方がはるかに格上だろうしな……。
ところで1492年といえばジュリアがラウラを生む年。父親は夫か愛人かいまいち不明
みたいだけど、この作品ではどう扱うんだろう。世界史的流れも楽しみだが
ボルジア一族の私的内情の方も楽しみ。
ボンバドゥール侯爵もモンテスパン侯爵の奥さんも、日本語では「侯爵夫人」になるのか
あのカテリーナ・スフォルツァはどうだったんだろう
女伯爵だったのか、伯爵夫人として子供の代わりにイーモラやフォルリを統治していたのか、
どっちだったんですか?
>>990 英語のウィキペディアを翻訳したのを読んでみたけど女伯爵みたいだね
息子が成人しても伯爵の位を譲らなかったそうだから
まぁだからチェ−ザレにああいう目に遭わされたんだろうな
おや・・・さっそく(^O~)
どうも有り難うございます
アンジェロとスペイン団との蜜月も、少しずつ終わりに近づいているんだな・・・
994 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2010/05/30(日) 10:05:15 ID:q3qfg9rC0
ラキアといい、チェーザレといい、もう消えたと認識していたのがひょっこり
戻ってくるのは本当に勘弁。迷惑です。
アンジェロやっぱり出番少なくなるんだろうか。
退場ってことはないとは思うんだけど・・
>>995 ゆくゆくはボルジアの敵対勢力の一人として台頭するのでは?
メディチ家が没落したら、メディチと懇意にしてたアンジェロはフィレンツェに戻ったら
下手したら投獄だろう。
ミケランジェロだってやばかったんだし。
閣下かチェーザレについてローマに行くんじゃないかと推測。
次は教皇庁のあれこれの導入キャラとしてしばらく登場する気がする。
998
999
1000なら
アンジェロは
チェーザレと一緒にローマ入り
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。