【かんなぎ】武梨えりスレ その20

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18名無しんぼ@お腹いっぱい
実は僕も「萌え」って何?って、ずっと考えてるんですよね〜
「萌え」のような発想って、数十年前、いや、アニメが始まった頃からあるものだとは思うんです
以前は「萌え」のようなものを指して「ロリコンアニメ」といわれて、まぁある種蔑まれていた時期もありました
で、そんな中でいわゆる「萌えキャラ」を初めてファンに浸透させたのは宮崎駿だ、と僕は捉えていて
すると宮崎駿の前にはその師匠である森康二がいて、森康二の前にはその師匠格である政岡憲三がいて・・・
といった具合に、「政岡憲三以来、萌えアニメはあるんだ」というのが僕の考え方
「萌え」という言葉はなかったけれども、その系譜っていうのは綿々とあったんだっていう

忘れもしません。 僕の大学時代、僕の代までは「アニメはまんべんなく見よう」という考え方が主流でした
食わず嫌いをせず、まんべんなく食べようぜっていう
それが、僕より一歳下の代くらいから、「美少女アニメ以外は見ない」っていう風潮が起こったんですよ
僕らの世代はそれを見て「あれ?」って思った。 90年代半ばくらいですね
ちょうどギャルゲーが隆盛して来た頃。
「雫」とか「痕」とかがブームになった辺りから、「美少女さえ見てれば良いんだ」「それ以外のアニメは見ない所か興味もない」という
もちろん僕も美少女アニメは見てましたよ。
「セーラームーン」が大好きで、亜美ちゃんの魅力について語れと言われればいくらでも語れますけどw
それとは何かが違う。原理主義的なものが生まれてきたんですよね
そんな人達を訝しげにというか、興味深く観察していたら、突然彼らが対象にしているものが「萌え」というふうに言われ始めたんです
とにかく、本当に急激な変化だったっていうのを鮮明に覚えています

うーん、違和感を覚えますね。
もちろん、「かんなぎ」にも萌え要素はありますよ
でも、ラブコメの作品を普通に作ったら、萌え要素も、時にはエロ要素も入ってくるでしょう
「くっついた・離れた」っていうドキドキ感であるとか、思春期の揺れであるとか、そういうものを描いていたわけであって
そうするとそこに萌え要素は必ずはいってきますよね
それを指して「萌えアニメ」だと言われると、う〜ん、「こちらはそこまで割り切って作っているわけではない」と言うしかない
19名無しんぼ@お腹いっぱい:2008/12/29(月) 12:21:21 ID:8KLNGWSK0
そうなると引くんですよね〜、皆さん
まぁ、100%予想してましたけどw
「面白くない」って言われて、こっちは「やっぱりな」ですよw
でも僕は辛抱して絶対貫くぞと
ここで原作を曲げるわけには行かないと思って作っていました
・・・実は、変な先入観を植え付けたくなかったから、これまでのインタビューではなるべく控えていたんですけど、
「かんなぎは神道アニメだ」って僕は当初から確信していたんです
もちろん基本はラブコメなんだけど、神道アニメという要素があって、これが非常に重い
でも、その要素は絶対に描ききりたいと思った
ラブコメの範疇内、神道アニメの部分・・・もっと言うと、日本の民族性ですね
日本人にとって日本の神様という存在が現在どう捉えられているのか?ということを特に第11〜13話、最後の三本で一期に描いています
このラスト3話が「かんなぎ」の本質だと言っても、僕は過言じゃないと思っています

例えば、神様=ナギが自分探しをするんですよ?
こんな変な話、ないでしょうw
神様が自己について疑問を持ち始めるんです
神様が「私って何?」なんて、絶対西洋は考えられない。 でもナギは悩んだ
そういう、神様なのに悩んでるって発想自体が、神道そのものに結びつく
さらには、日本人の宗教観に結びつくんじゃないか?と思ったんですね
20名無しんぼ@お腹いっぱい:2008/12/29(月) 12:21:53 ID:8KLNGWSK0
そう。6世紀に仏教が日本に入ってきて、仏教に浸食されるかなと思ったら、神道がうまくこれを取りまとめた
神仏習合ですね。 なぁなぁな感じで収めちゃった
で、みんなどっちつかずの状態で、「どっちも適度に信じちゃおう」で来たわけじゃないですか
だから僕ら日本人にとって神様ってどういう存在かっていうと、あまり確かなことはいえないんですよね
よく「バチが当たる」とかいうし、お墓参りに行かないと先祖の霊に怒られるとか
そういう考え方はあるんですけど、だからといって、ひとりの神様、ひとつの宗教にこだわってるわけでもない
そんな「日本人にとって神様って何?」とか「信仰心て何?」っていう命題が、ナギに託されているんです
ナギは八百万の神というか、日本の土着信仰に基づいた神様ですが、
その、まさに日本の神の「あいまいさ」に、ナギ自身が苦しむ
苦しんで、自分を見付けられるか見付けられないかという展開になっていくんですけど
やっぱりそれは現在の僕ら日本人に突き付けられたひとつの課題なんじゃないかなって思いますね
最終話で仁がナギにとても印象的な言葉を投げかけるんですけど、それは仁が僕たちの代弁をしてくれているんです

だから視聴者にはラスト3話を「鬱展開だ」とか「ラブコメのままがいい」とか、そんな割り切り方をしなくてもいいでしょって言いたいです
最低限のメッセージはこの作品に残しておかなくてはいけないし、神道アニメの要素を描かなければ原作から引き算をしてしまうことになる
そこは武梨先生の確認もとりました
だから「実は、神道アニメだったんだよ」という形で最後の3話は突っ切りたかったんです
確かに萌えアニメ的要素もあるし、ラブコメ要素もあるけど、さらに「神道とはなんぞや」という一歩踏み込んだテーマ性もあるんだよ
ということを最後の3話で示しておこうと
これはもう、ウケが良かろうが悪かろうが関係ないですね
意地を張ってるわけじゃないですよ。  それが「かんなぎ」という作品なんだから、そうしているだけなんです
21名無しんぼ@お腹いっぱい:2008/12/29(月) 12:24:18 ID:8KLNGWSK0
↑はヤマカンのインタビューね

原作者に確認取ったってことは、説得するためにヤマカンの考えをえりタンに伝えたってことでいいんだよな
これ聞いたときどう思ったんだろうw