また、余談だが、篠房は本当に美大出なのか、疑わしくなるような認識を垣間見せる事がある
先述したような篠房の特性は
「作品に全てを捧げる俺かっけえ」という勘違いであり
なぜそんな自分をかっけえと感じるかといえば
芸術作品の単体価値を過大評価しているからである
当然、これはヴィクター・バーキンなあどを引き合いに出す事もないほどに
ルネサンス期の遺物の如き感性だ、と言える
もちろん、個人的にはそうした美術評論の流行などとは関係なく
愚直で時代遅れでも、信念を持ってそれを貫く人間がいてもいいと思う
しかし、そうすると今度は、何故、メタ・ツンデレなどというネタで、
批評的視点(笑)に基づく超越性を標榜するのか?
という点で篠房の作品哲学に意味不明なクエスチョンが発生してしまう
ルネサンス時代の亡霊なら亡霊らしく、メタフィクションなどに逃げずに
正面切って萌え絵描き・萌え漫画家よりも萌えさせる
最高のツンデレを描いてみせたらいいだけのはずだ
要するに、作家としての軸がブレブレなのである