【情熱的な日々】藤子不二雄A総合14

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313名無しんぼ@お腹いっぱい
>>312
「トキワ荘」漫画家の死 「愛すべき困ったヤツ」貫く

漫画家森安なおや氏(本名直=ただし)が亡くなった。
東京都豊島区にあった漫画家の“梁山泊”「トキワ荘」を語る上で欠かせない人物だった。
一人で暮らしていた部屋で五月二十一日、ひっそりこときれているのが発見された。六十四歳だった。
数々の「トキワ荘」物語の中、森安氏は常に「愛すべき困ったヤツ」として描かれてきた。
牛乳店を飛び出し鈴木伸一氏の部屋に転がり込んだ話。
新人なのに締め切りが守れず雲隠れした話。  
あまりにだらしないので頭目格の故寺田ヒロオ氏から
「今後一切森安なおやと付き合わない」旨の回状を出された話……。  
今月三日、終えんの地となった東京都立川市の料理店で開かれた
「森安なおや氏追悼の会」には、今はアニメ演出家として活躍する鈴木氏をはじめ、
藤子不二雄(A)、ちばてつや、水野英子の各氏ら、ゆかりの深い漫画家も集まり、
奔放だが憎めない人柄をしのんだ。

「とにかく愉快な男だった。漫画もうまいんだけど、漫画への思いが強すぎて時流に乗れなかった。
 画風もテーマもひたすらノスタルジックだったからなあ」
と藤子(A)氏。

「二人になると熱く漫画のことを語るんだけど、描けない。本質的に不器用だった」
と鈴木氏。

「森安に締め切りを守らせるより、その穴を手塚治虫先生に埋めてもらう方が現実的って感じだったよ」
と永田竹丸氏

314名無しんぼ@お腹いっぱい:2008/01/27(日) 14:34:32 ID:OZQVuvgs0

森安氏がトキワ荘に出入りしていたのは、手塚治虫から発した漫画の
「モダニズム運動」が 盛り上がらんとしていたころ。
田河水泡に心酔し、郷愁の世界に生きた
ロマンチスト森安氏にとっては、居心地の悪い時代だったかもしれない。
時流にそえぬ生き方がまた、付き合った人に忘れがたい印象を残した。
一九九七年、久々の漫画作品『烏城(うじょう)物語』が出版されるに
至ったのも、 郷里の友人松下邦夫氏らの
「岡山に戻る費用を持たせたい、作品を残してやりたい」
という切なる思いが出発点だった。 その松下氏にして言う。
「高校時代から才能は光っていたが、プロとしての大成は難しいと思ってました。
 学校新聞の四コマでさえ締め切りに間に合わないことがよくありましたから」

1999-07-19 朝日新聞 夕刊 文化面 
315名無しんぼ@お腹いっぱい:2008/01/27(日) 14:40:55 ID:OZQVuvgs0
>>313-314補足

・田河水泡に弟子入りするため上京するも、その後、独立というか出奔
・古沢日出夫に寺田ヒロオを紹介してもらい、寺田を頼る
・新漫画党(第一次)に参加、 ←これが「まんが道」のあたり
・漫画少年が廃刊になると貸本屋向けの漫画を描きながら牛乳店で住みこみで配達の仕事をする
・店を飛び出し鈴木の部屋に転がり込む、彼の所有している小説などを本人の許可を得ず売りはらう
・鈴木がトキワ荘を出ると、そのまま部屋を引き継ぐも原稿を落としまくり、家賃を半年滞納
 それを寺田に押しつけ、ついに新漫画党から除名される
・永島慎二に影響され詩人になるが開花せず
・職を転々とし、妻子とも別居
(COMの『トキワ荘物語』には執筆してる)
・日雇い(内装)をしながら、描きつづけた作品を再起をかけ集英社に持込むが、没に
 (その持込みの様子と「トキワ荘同窓会」の模様は、NHKでも放送された)
・最後は孤独死

316名無しんぼ@お腹いっぱい:2008/01/27(日) 15:34:01 ID:OZQVuvgs0