「"全身漫画"家」(光文社新書)という鈴木隆祐とかいう人に書かせた
江川達也の口述筆記の本があります。そこにある本の内容の痛いこと痛いこと。
ご存知と思いますが、暇つぶしに一部の文章を
ドラえもんについて
「二度目のアニメ化(七九年)で大ブレイクした七〇年代末期には、
非常にマテリアルな機械文明礼賛主義的な作品に堕していたと思う
(そのように視点が明確になっていたから売れた、とはいえるのだが)
すべての困難をいともたやすく解決してくれる道具群は、たしかに魅力的で、
最終的にはのび太は道具をつかいこなせず、(というよりは、いたずれに欲を
かいて)失敗する、という(取って付けたような)教訓が残るから、『ドラえもん』
は子どもに与えて安心な、とても教育的な漫画だと評価される。」(略)
「だが、本当にそうだろうか。ぼくを含めた多くの、のび太と同世代の読者は、
あの作品を読んで、こうも感じたはずだ。(略)ぼく(わたし)だったら、
もっと上手くドラえもん(の道具)を利用するのに」(略)
「こんな悪知恵を読み手に働かせる漫画が「良書」と呼ばれているのだから、
ちゃんちゃらおかしい。のび太は犯罪的になにも学ぶ=成長することはない。」
P112〜P113
続き
「戦後の日本人はドラえもんの道具が象徴するような、利便さばかり追及
してきた。それが右肩上がりの高度経済成長、ひいてはバブルの思想だった。
『ドラえもん』が発展途上国でウケるというのも、『ドラえもん』が
物質的な豊かさを追求した作品であるという証しだ。」P115
(そしてそれ以後まじかるタルるート君は足ることを知るという意味で
禅漫画であるという論を展開して、タルるート君を自画自賛するのですが、
・・・まあ、江川のドラえもん観について突っ込みどころあればどうぞ。
私は突っ込む以前にそもそも事実誤認がひどいと思いますけれどね。
ドラえもんが発展途上国でしか受けていないとか、のび太が何ら反省せずに
成長という過程を感じさせる描写がないとか、その辺りが。