どこかのサイトで読んだが、赤壁後、孫呉は劉備を「擁立」する気だったんじゃないかと言うのがあった
昔袁紹が、董卓の劉協に対して劉虞(だっけ?)を擁立しようとしたように。
つまり
劉協(曹操) 対 劉備(孫権)
という構図の南北朝。
こうやって劉備を祭り上げといて、幕府たる孫呉指揮下に関羽・張飛を置き、
天下二分策を推進していく。(実際それに近いことを周瑜も言ってたよね。)実験は勿論孫呉。
こう考えると、婚姻政策で劉備を「帰そうとしなかった」事にも説明がつくし、
周瑜の言う蜀攻略・馬超との同盟も現実的なアイディアである事がわかる。
実際劉備だけの兵力でそれを果たしちゃったんだから。
実際赤壁後の両軍の動きは、別々の軍の物とは思えないような役割分担らしい。
少なくとも孫呉サイドの方は、劉備たちの勢力を旗下勢力ぐらいに思っていたんじゃないだろうか。
計算違いは、劉備があくまで独立の勢力でやっていこうとしたって事。
劉備を見誤ったってとこか。