▽▲▽今週のモーニング Part31▽▲▽

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614名無しんぼ@お腹いっぱい
今、日本人に「のらくろ」の姿を見せて「見たこともない。」と言う人が何人いるでしょうか。

  「のらくろ」は、漫画家・故・田河水泡先生(1899〜1989)の作品で、昭和6(1931)年、
  講談社の少年向け月刊誌「少年倶楽部」1月号で産声を上げました。
  体も小さく、親もいない野良犬黒吉が、ブル連隊長率いる猛犬連隊に入隊し、
  失敗を繰り返しながらも、持ち前の明るさと負けんで次々と出世していく・・・。
  そんなあたたかく朗らかなサクセスストーリーに日本中の子供が歓喜し、「のらくろ」ブームが訪れます。
  その後太平洋戦争中に内閣情報局より執筆禁止令を受けるまでの10年間、
  その人気は衰えることはありませんでした。

  戦争で中断してしまった「のらくろ」ですが、戦後不死鳥の如くよみがえります。
  「のらくろ」が相撲取りになったり、植物学者になったりする番外編が数編書かれた後、
  雑誌「丸」(潮書房)に続編が連載されました。
  そして、昭和42(1967)年に、戦前の「少年倶楽部」に連載された全てを収めた「のらくろ漫画全集」
  (講談社刊)が発売され、第2次「のらくろ」ブームが訪れます。
  そんなブームの中で、戦前に発売された単行本の復刻版「復刻版のらくろ漫画全集」全10巻が発売され、
  「丸」に連載されたものが正統な続編として単行本化(「続のらくろ漫画全集」全5巻)され、
  50年にもわたる「のらくろ」の漫画は完了したのです。

  現在、日本は世界的な漫画王国と言われます。
  戦後の漫画文化の隆盛の元を作ったのは、故・手塚治虫先生だとは誰もが認めるところでしょう。
  その手塚治虫先生もが影響を受けた、いや、漫画の世界へといざなったのが、田河水泡先生であり、
  「のらくろ」だったのです。
  つまり、「のらくろ」こそ日本の漫画の原点と言えるのです。

  管理人は子供の頃、無類の漫画好きだったこと、何故か昭和初期の文化に興味を持っていたこと
  (小学生のくせに...)、そして何よりも戦前以来の大「のらくろ」ブーム(第2次)で、
  次々と「のらくろ」関連の本等、グッズが発売されていたことが重なって、
  「のらくろ」と出会うことができました。
615名無しんぼ@お腹いっぱい:03/03/20 00:59 ID:Q84A5Ghx
のらくろがジパングにでていたら、もう少し面白くなっていたに違いない
616名無しんぼ@お腹いっぱい:03/03/20 01:00 ID:Q84A5Ghx
No タイトル 出版社 発売日 備     考
1  少年倶楽部 講談社 1931/01
〜1941/06  全ての始まり
2  のらくろ上等兵 講談社 1932/12/05  「少年倶楽部」連載分を書き下ろし
3  のらくろ伍長 講談社 1933/12/05  「少年倶楽部」連載分を書き下ろし
4  のらくろ軍曹 講談社 1934/12/09  「少年倶楽部」連載分を書き下ろし
5  のらくろ曹長 講談社 1935/12/14  「少年倶楽部」連載分を書き下ろし
6  のらくろ小隊長 講談社 1936/02/11  「少年倶楽部」連載分を書き下ろし
7  のらくろ少尉 講談社 1937/05/14  「少年倶楽部」連載分を書き下ろし
8  のらくろ総攻撃 講談社 1937/12/15  オリジナル書き下ろし
出版社も講談社

モーニングで再連載してほしい