537 :
昨日のオッサンだが:
眠れなくなった。(というのは嘘。午後からの打ち合わせ資料を確認中。)
あした(きょうだな)、彼女は店長に退店を伝える。
出会った日からの怒濤の2カ月半を思い出す。
初めて入った店で、瞬間的に心臓を射抜かれ、俺は反射的に、
話題作りのためだけに腹筋を鍛えはじめた。靴も服も下着も新調し、髪も切った。
告白は直筆の手紙にした。彼女は丁寧な返事をくれた。だが彼女は、
俺を普通の客として扱い続けた。流れを変えるために勝負をかけた日、俺は言った。
「ぼくを信じてくれるなら、別れ際に10秒間手を離さないで。
客として今まで通りにと思ったら、普通にサヨナラしてください。」
そしていつものように客と嬢の別れのハグ。彼女の右手に委ねた左手を、
おそるおそる引き寄せながら店を出ようとした。そうしたら、
彼女の両手が俺の左手を強く引っぱった。彼女は黙って俺を見たまま、
目でしゃべろうとしてた。俺はもう一度彼女を抱きしめた。
「10秒過ぎましたか?」と彼女は小さく言った。俺はハグしたままうなずいた。
店員のチェックが入り、俺は彼女をそっと仕事に返した。
店員に連れて行かれた彼女を、俺が連れ出すんだと決めたのはその日だった。