「静かなるカリスマ」:ヘレヴェッヘを語ろう!

このエントリーをはてなブックマークに追加
64名無しの笛の踊り
>>56->>58
マジレス、ありがとう。
実は、58のレス、俺も全く同意見なんだけど、同じジョスカンの
ディスクに対して評価が変わるのがとても面白いね。

俺は、減れはホモフォニックな所はすごくいいけど
ポリフォニックな箇所の扱いに難があると思っている。

言葉を重視して、そこから曲の本質を見据えるのが彼の美質だろうが、
ポリフォニックな所は多少なりとも構成美が重視されるのも事実。
長いメリスマを歌う中で瞬間的に現れる和声のおもしろさや
あえてストイックにリズムをキープすることから生じる高揚感なんかが
ポリフォニー独自の美質としてあると思うんだ。
こういうところでは彼の「言葉で自然に」盛り上げるアプローチは
裏目に出るんじゃないかな。
たとえジョスカンのムジカ・レゼルヴァータの側面を考慮しても。
ジョスカンのCDなら、有名な方のアヴェ・マリアや4声サルヴェ・
レジナがイマイチなのはそのせいだと思う。

ずっと上のレスで「学問的」って書いてあったよな。俺なりに
敷衍すれば、基本的にどんな曲に対しても独自のアプローチで貫いて、
その曲が最も美しく響く方向性を模索しようっていう意識が
あんまし感じられないって事じゃないかな。

一方で、減れの美質は、通奏低音技法とか伴奏による支えが
しっかり整っているときには効果的。
もしくはラッスス(たとえば「ペテロの涙」)みたいに、アカペラの
ポリフォニーでもかなり機能和声的な色がはっきり出た曲だと、言葉の
自然な流れに沿った盛り上げ方とかはすごくいいと思うんだよね。
ラッススは実際、ジョスカン以上に言葉に気を配って作曲してるし。
だからジョスカンでも、最後のミゼレーレなんかは、同音連打的な
模倣の旋律と相まって、彼の美質が遺憾なく発揮されていると思うよ。
あの「ミゼレーレ」の歌い方はすごい効果的だよな。

こういう考えにこだわる気は全然ないからさ、反論とかあったら
ガンガン教えてよ。

あとヒリアードはさ、スレ違いだからちょこっとにしとくけど、
世俗曲についても俺はいろんな行き方がありうると思うんだ。
だから、ヒリの演奏は聴くべきとこもあるなと思ってるよ。