アバド

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97名無しの笛の踊り
やっぱりアバドは、誰か他の巨匠指揮者が存在して、そういう時代の中でなにか
清新さを感じさせる指揮者だ、というイメージに存在意義あったと思えるよ。
つまり、カラヤン、バーンスタインの両御大の存在していたうちは、アバドの存在
に新鮮さがあった。 ところが、この両御大がいなくなってアバド自身が頂点に
近いところに押し上げられたところにアバドの悲劇があったと言えるんじゃないか
な?
今まで新鮮に映っていたものが、急に色褪せてしまったという感じだ。
そしてアバド自身も、自分の個性をもっと発揮せねばならなくなってしまったが、
そこへの転換ができなかったと言えると思う。 そのためにこのスレのマーラー演
奏の話題で出た、スタイルの変換という難題に直面してしまった。

やっぱ、誰かの巨匠指揮者の後ろにいてキラリと光る存在、というところがアバド
の存在意義だったのかもしれないよ。
これはあくまでもオレなりの総括だけれどね。