ブラームスのsym.4thって大好きなんですけど。

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234ブラ4日記
旅行中、列車の中でMDに落としたものを3つほど聞いていました。

ケーゲル、ライプツィヒ放送響(1962)
マルケヴィッチ、ソヴィエト国立響(1960)
コンドラシン、ソヴィエト国立放送管(1960代後半〜70代前半)

ケーゲルとブラームスといえば、「ドイツ・レクイエム」(Capriccio)
の精緻にして深い味わいをもった演奏の好印象があって、ブラ4でも
例えば第2楽章など澄明で深みのある世界を描いてくるのではないか、
あるいは抒情を切断した果てにあるものを聞かせてくれるのではないか、
と大いに期待して(70年代後半以降ならそんな期待も出来たのかも
知れませんが)、このOde から出た放送録音集も買ったのですが、
まあ良くも悪くもケーゲルも若かったのかな、というのが初聞きの
印象で、それは今回も変わりませんでした。全体に速めのテンポで
(むしろせかせかした印象も抱かせるのはフレーズの息の短さゆえか)、
随所に聞かれる鋭い金管の咆哮と思い切り弾力感のあるピツィカートに
ケーゲルだなぁと感じさせられましたが、それ以上の驚きもなく、
私の中で存在感が薄い盤ということになります。ケーゲルの同タイプ
の演奏としては、ブルックナーの8番の好演がありますが、
あそこまでの感銘はなかったです。

マルケヴィッチの故郷に錦ライブは、怪しげなDante-Lys盤です。
マルケヴィッチだなぁ(意味不明)、と思わず苦笑することしきり。
たとえば第1楽章219小節から227小節にかけての木管を押しのけて
響き渡る異様に力の入ったピツィカートであるとか、第3楽章の
コーダでの強烈過ぎるアゴーギグとか・・・。第4楽章もけっこう
異様なバランスのとこや、第1変奏での熱のこもりすぎた(笑)
ティンパニの強打などもあるのですが、不思議と全曲通じての
マスとしての造型感がしっかりしていて、そこがまたマルケヴィッチ
らしいのです(笑)。これはもっとしっかりした音質のものが
ほしいですね。ところでラムルー管のもこんな感じでしたよね?
(続く)