楽屋口に集うサイン狂な人々に一言

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657名無しの笛の踊り
最文庫本化された佐渡裕の「僕はいかにして指揮者になったのか」にこう
いう記述がある。(彼の堀川高校時代の話である。)

「結局僕らは全員見つかってしまい、この公演を主催した音楽事務所の人に
こっていると油をしぼられ、土下座までさせられて京都会館から追い出され
てしまった。このときの屈辱は今でもよく覚えているが、僕はどうしてもバ
ーンスタインの生の音に触れたくて、ホールの外扉の隙間に耳を当て、かす
かに聞こえてくる音色を聞きつづけた。
悔しかったのは、これだけではない。公演が終わった後ならと、サインをも
らうために楽屋の方へ向かったのだが、僕たちを叱った音楽事務所の人に再び
捕まってしまい、「お前らにやるサインなどない」とまでいわれたのである。
こうした人たちが日本でクラシックを浸透させようとしていたのだから、哀し
い限りである。」

誤解ないように言っておくが、佐渡はクレクレのようにしてただでなんぼでも
きこうとしていたわけではない。なんとしてでもあこがれのバーンスタインの
マーラーの1番を聴こうといていたが、あっという間にチケット完売で入手で
きなかったのである。ましてや高校生である。

音楽事務所よ、弱きをくじき、強きを助けるということになっていないか?
見ていたら、即刻クレクレ追放の措置をとれ。続いてK藤、AR木だ。