評論家??? 片山杜秀”¢£%@★☆☆

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243名無しの笛の踊り
1のいうことはやっぱりその程度か。
君ねえ
たとえばチェリの演奏をさ
テンポが遅すぎて音楽が生きていないとしか感じられないと思う人は有機的連関を欠いていると思うわけ
逆にどんな動機もしっかりいかされて音が組み立てられている人は有機的連関が大ありと思うわけでしょ。
片山のケーゲル論はケーゲルは音のエッジのたった客観的演奏をする人という
ケーゲル論としてはありふれた見解を
彼独特のレトリックで有機的連関の欠如、つまり音が情念的につながっていない、生き生きとしていないという文にしているように読めます。
死体的というのは冷めた血の流れていない即物的演奏ということと解釈するのが普通でしょう。
その評価を1が気にいらないのは充分わかったけど
演奏の評価が正反対になるのはよくあること。
気に入った評価をよそで探すか自分のケーゲル論を書いてどこかの掲示板に貼り付け
片山のケーゲル論はこんな歪んだ見方で気に入らないとでも書き添えておいたら。
分からないのは1がその程度のことでなぜそこまで熱くなれるのかということ。
個人的怨恨ですか。
ああ、もしかして君
君の大好きなケーゲルを片山がけなしていると勘違いしてるんじゃ。
君が著作権を無視して長々とひっぱっちゃったあの文章は最大級の賛辞でしょ。
ひとつの演奏様式をきわめた演奏家への。
ほめことばをけなしことばと勘違いして熱くなれるのが
日本の「まっとうなクラシックファンのレベル」ということが1の書き込みを
読むとひしひしと伝わるんだよね。
やっぱりこの演奏家は素晴らしいとか嫌いだとかはっきり書いてないと判断できないわけね。