メロディーの影・・ ジムノペディーに隠された・・

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146名無しの笛の踊り

初めてのギリシャ旅行の折、とあるアンティークショップを
ひやかしていたサティは、店の奥に置かれていた等身大の
人形に心を奪われ、目をそらすことが出来なくなった。

美しい金色の髪と濡れたような黒い瞳、子鹿のような四肢に
大理石を思わせる肌。
いままで出会ったどの女性よりも美しいと感じたサティは、
その人形を買い取って帰国の途についた。

パリの自宅に戻ったサティは、人形をベッドに横たえて
じっと見つめていたが、あまりの美しさに自分を抑えかね、
人形の額にそっとキスをした。
すると人形は、ふうっと安堵したようなため息をつくと、
にっこり微笑みながら口をきいた。

「 いのちを吹き込んでくださってありがとう。今日から
  あなたを白馬の王子様だと思ってお慕いしますわ 」

こうしてサティと人形との奇妙な同棲生活が始まった。

人形は働き者だった。
朝、サティが目覚めるとカフェ・オ・レの香りが心地よく鼻孔を
くすぐり、着替えと洗面を終えて食卓につくと、焼きたての
クロワッサンかフレンチ・トーストが彼を待ちかまえていた。

夜は夜で、つつましいが心のこもった手料理と、安いが味の良い
ワインがサティを喜ばせた。
掃除洗濯も遺漏なく、手空きのときは歌をうたったりピアノを
弾いたりしてサティの仕事を手伝った。

声が窓ぎわのトットちゃんにそっくりなのが気にかかったが、
見目麗しく心映えの美しいこの人形に、サティは 「ペネローペ」
(ギリシャ神話の、オデュッセウスの妻。貞節な妻の代名詞)
と名前をつけ、普段は PE(ピィー) と呼んでかわいがった。

サティはピィーとの静かで満ち足りた生活を満喫していたが、
やがて彼女は何日も家を空けたまま帰らないことが多くなった。
戻ると何事もなかったかのように微笑みながら家事にいそしむ
ピィーに対して、サティは強いて問い詰めることはしなかった。
彼女の行き先を知ってしまうと、ふたりの穏やかな生活が
壊れてしまうかも知れないと恐れたからだった。

《つづく》