僕を感動させてくれる現代音楽

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51名無しの笛の踊り
>例えば、商業主義の雄ビートルズに基く作品を書く作曲家は少なくありません。 芸術音楽と商業音楽という風に区別するのはもうそろそろ限界だと思います。

うん、その通りですね。

>芸術音楽と商業音楽という風に区別するのはもうそろそろ限界だと思います。
>商業音楽でも芸術を表現する事は可能だし、芸術音楽側でも商業的なアプローチは
>多く為されています。

商業音楽と芸術音楽の区別がなくなってきたことは正しいと思います。というよりも、交換経済の中に音楽が取り込まれて、もはや音楽もより利益を向上させる手段の1つ、1ビジネスと化してしまったからです。しかし、それは芸術としての音楽の退化だと思います。商業音楽とは同質の物を再生産する事によって大衆の心を掴み利益確保を狙う権威的な主体ですから、そのような中で音楽が今までのような節度を保って生き延びる事ができるという考えは、Utopianだと思います。商業的な価値観が音楽に内包されている限り、オリジナリティーの損失は免れません。それを忌避し、ジョン・ケージなどが極度にマニアックに走ったのでしょうが、明らかに無理をしていると思います。

>あなたの『芸術』という語感の認識に問題があると思います。

私の言った「芸術」とは、もっと狭義な意味での「芸術」です。ラテン語の「ars」という原義は「(経験によって培われた)技術」という意味で、あなたのおっしゃる通り自然との対比で使われますが、現代において「芸術」は、もっとSpecificで倫理的なものとしての意味も持っていますから、その文脈で語った方が適切だと思います。