僕を感動させてくれる現代音楽

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レスが遅れてすいません。

>アンダルシアの犬さん
>ウォーホルやリキテンスタインがキャンベルスープの缶詰やミッキーマウスを 題材にしたことについて如何思われますか?

私は美術鑑賞板の住人ではないので込み入ったコメントは控えさせていただきますが、キャンベルスープなどは実際に目にしてみても、だからどうしたという印象でした。複写,再生産などによるメディアの権力化、一般人への浸透を良く表わしているとは思いますが。

>あさん
>端的にいえば、あなたの言う特権的な音楽を書いてる作曲家だって、
>崇高な作品を書いたときにも、それで所得を得てるってこと。

その通りですね。所得があること自体を問題にしている訳ではありません。それは、芸術家の個人意識と大衆意識が一致したという事であり、前者が後者に屈したということではありません。ベートーヴェンなんかがいい例だと思います。

>日本やアメリカのポピュラー音楽だって世界的に見たら少なくとも、
>1.物理的に聴けない、
>2.聞いても文化が違うから好きになれない、
>という2つのレベルで特権化されており、ケージやシュニトケとは特権化の度合いの違いに過ぎない。

日本の娯楽市場は基本的に日本人をターゲットにしているので、その中で利益が確保できれば良いので「世界的に」みる必要はないと思います。あと、「特権化」の意味を誤解なさってますが、私の言った「特権化」の意味は、商業目的なものを廃した作品作りを目指す事です。その結果として商業が成り立っても、それは商業目的で作られたものとは本質的に異なるものだと思います。しかし,そこで成り立つ商業は,閉鎖的なものであり、まさにその閉鎖的な空間を作っているところに疑問を感じるわけです。

>ビジネスは芸術の価値を貶めるのかという問いに、ハナから、資本主義を悪いものという前提で議論しているから。 それはあなたの、それこそ倫理観の問題。

確かに現世否定的ですが、(芸術家の)労働が社会的な様相を呈した時に、それはそれ自体から切り離されて「商品」としての価値しかもたなくなる。全てが金銭を媒介とした交換経済の中で成り立っている以上、これは避けられない事であり、個人の倫理観がどうのという問題よりも、資本主義というシステムに内在する問題だと思います。