309 :
ヨンメッリ:
>向こうの聴衆の好みに合わせるのは結構苦労なさったのではないでしょうか?
一般的に、ドイツに行ってからの作品は、ドイツ風に豊かで重く厚いテクスチュアをもち、1770年にナポリに帰ってから以降は、その様式がナポリに受け入れられず不遇だったといわれることがあると思いますが、ちょっと違うのです。
全部を覚えていないので(~へ~; )ドイツ時代とナポリ時代との曲についてコメントをします。
まず、重い、軽いという言葉が様々な特徴を指しているから混乱するのです。ドイツにいたころは確かに当地のオケにあった楽器の編成を生かして、テクスチュアは分厚くして、受け入れられましたが、リズムはどちらかといえば単純、前古典派的な部分を多く残していました。
しかし、ナポリ時代の曲は、一見テクスチュアは薄く軽く見えるかもしれませんが、リズムにはシンコペやら強拍のズレを多く用い複雑で、対位法的で、全体の調性を考えて曲作りをしたため、耳にはより複雑に聞こえます。そしてこれは難しすぎる、といわれはしましたが、非常に受け入れられ、人生で最高の名誉と尊敬を受けていました。
どちらかというと、聴衆より、自己の進歩を第1に置いた感じです。(進歩は良いとされていたのです)
私の70年代の作品、さらに同時代のハイドン、Ch.バッハのオペラには、従来古典的対位法が初めて用いられた1781年のハイドンの弦楽四重奏作品33、と同じような特徴がみられるようです。つまり、ここに古典派への転機があるとする考えが発生します。
ガルッピ先生に関してはまた後に失礼。