バロック好きな人

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267実はゲーテの霊が乗り移りました
バッハが「音楽のささげも」等で発揮する精妙さは、
なぜヴァイオリンを生かす才能につながらないのか?
構成力、緻密さ、和声の多彩、等は際立っている。
しかし、なぜか華麗に優美に情熱的にきこえない。
彼のもつ性格か?
真に普遍的なものは民族的であるとよくいわれる。
彼の音楽にはアインシュタインのような体系はある。
また、カントの観念論のような緻密さもある。
しかしながら重く、硬く、まじめすぎる。ともすると退屈になりかねない。
ユダヤ系であるアインシュタインも演繹的思考に固執した。
カントは「三批判」を、啓蒙思想に反対するあまり、業と難解に書く。
多面的に見える彼の才能の中に単純な固陋さがあったのだろうか?
ベートーベンの15番のカルテットのフィナーレのくどさ、
モーツァルトの15番のカルテットの4楽章のくどさが
バッハの5番のヴァイオリンソナタの第3楽章に出現する。
厚味と構造に走るあまり率直な情熱の吐露を失う。
この傾向はゆったりとした長調より短調で顕著となる。
打楽器的なピアノや管楽器的なオルガンとも違うチェンバロの弦楽器的な響きを生かせない。
高音部の流れるような響きを表現しない。考えすぎてかえってくどくする。
コレッリやヴィバルディのヴァイオリンの精妙な歌わせ方に比しての違和感。
このバッハに特に見られるドイツ的重苦しさはどこからくるのだろうか?
ある文豪が言うが如くゴシック建築の目指した雲の上からなのだろうか?
多旋律に走りすぎる作曲家が失った一つの何かであろうか?
「ドイツ人というものは足元にあるものを常に雲の上にあるが如く考えすぎる」
                        〜ゲーテ〜