バロック好きな人

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165名無しの笛ふき
バッハは18世紀当時の管楽器奏者にとってはありがたくない存在だったかもしれない。リコーダーにしろトラヴェルソにしろオーボエにしろ、楽器の限界や特性をしばしば無視しているからだ。
現代において、もっぱら鑑賞によってバッハに親しんでいるファンにしてみれば、「バッハが考える音楽の純粋性を追求した結果だ」ということになるのだろう。しかし彼はシンセサイザーでの演奏を念頭において作曲していたわけではない。
当時の楽器では本来出ない音やきわめて音程の悪い音が使われているとか、息継ぎをまったく考えていないということは技術ではカバーしきれない。したがって当時の演奏を最上の形で再現するという前提で行われているはずの古楽器による演奏は、バッハの音楽がかつて評されたように「不自然」なものになる(奏者はいかに「ごまかす」かに腐心する)という逆説的なことになってしまう。
当時からバッハの曲は複雑で演奏が難しいと言われていたが,その実,バッハの楽器の用法に対する無理解から来ているのかもしれない。同時代の人,例えばテレマンは,楽器の機能上の問題を巧みに回避して,あるいは逆手にとってうまい曲作りをしている。古楽器を手にしている立場からすれば、バッハを嫌いにはならなくても、ますます好きになるということはないし、むしろ他の作曲家たちの魅力に気づいてしまい、彼がひときわ高いところにいるとも感じられなくなってしまう。
ヨハン・クリスティアン・バッハが親を馬鹿よばわりしたことさえ、ある程度納得できてしまうのだ。