最近御活躍のイマクラ先生について語ろう

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193名無しの笛の踊り
あのコーヒーの話は、コーヒーを出す側と飲む側、つまるところ演奏者
と各々の聴衆との関係に限定した話としてなら、まこと健全な話だと思
うけど、音楽評論(或いは音楽紹介)をやっている人間が、ああいった
言説に寄りかかっているようじゃあダメだな。だって、第3者に美味し
いコーヒー屋を紹介するという行為は、今倉氏が美味しいコーヒーを飲
んで店主に「美味しかったよ」と一言礼を言って帰るのとは、全く違う
位相にある行為なんだからね。

説明しようか。言うまでもなく、今倉氏に美味しいコーヒー屋を紹介さ
れる第3者は、今倉氏とは違った好み・味覚を持っているよね。そうい
う第3者に向かって、ただ「美味しいコーヒーだった」と伝えても精度
の高い情報を提供出来たことにはならないんだ。コーヒーの苦み・濃さ
・香り、まあ、いろいろな要素があるとは思うけど、それぞれに関し、
個々人の「好み」というものがあって、「美味しいコーヒー」に対する
基準もまちまちなのが現実だろ?絶対的な尺度なんかあるわけが無い。
「日本人のコーヒーに対する平均的好み」みたいなものを云々して、そ
れに合わせた絶対的尺度があると思い込むのも、日本の個々人の顔を全
て座標化して、それらの平均をとる事で「平均的日本人の顔」を作り出
そうという試みくらい馬鹿馬鹿しい事だろう。平均値には本質的な意味
は希薄で、そこからの揺らぎが常に存在する事にこそ本質があるんだ。
194名無しの笛の踊り :2000/10/04(水) 18:19
故に、コーヒーにせよ、音楽作品にせよ、コンサートにせよ、何かを第
3者へと紹介しようとするなら、不可避的に、個々人が持つ感性や趣味
の差異に向き合うことになるわけ。なら、単に「美味しかった」という
感想を、評論家なり紹介屋が垂れ流す文章にそれ程の意味があるはずも
無い。吉田秀和のような、「この人の推薦するCDならとりあえず買って
みよう」と思わすような信用が今倉氏にあるわけでも無いしね。なら、
「なぜ私は美味しいと感じたのか」を、自分なりに突っ込んで分析し、
そこんとこを第3者に伝えるよう努力しなくちゃダメなわけよ。もちろ
ん、その為には知識や文章的な訓練が必要になるのは当然。ここまでや
ってこそ、紹介された第3者は、自分の好みと今倉氏のそれとの差を考
慮して、そのコーヒーが自分にとっても意味があるものか否かを判断す
る事が出来るようになり、実際にコーヒー屋に足を運んでみる事に関し
て、主体的判断を行なう際の助けにもなるんだろう。批評なんてものは、
基本的にはお買い物ガイドなんだけど、ガイドとしての使いやすさや信
用に関する差異は、こういったところから出てくるんだと思うよ。