☆永遠のカリスマ指揮者宇宿先生を語ろう!☆

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317名無しの笛の踊り
>>315
>私は聴衆の一人として、宇宿の音楽を評価するために、プレーヤー(楽員)に
>対しても尊敬の念をこめ、指揮者・プレーヤー・聴衆が、三位一体となり、
>その象徴であるフロイデフィルに頑張って欲しいと、思いましたが、

この言い分、決して否定するものではないし、むしろその線にそって
がんばってほしいと切に望むものです。決して皮肉ではなく、本気で。

では何が問題なのか?
昨今、例えば在京のアマチュアオーケストラでも、弦楽器のエキストラ
なしで演奏会が成立する団体など、非常に希です。

宇宿オケも、まあ似たような状況じゃないのでしょうか。

>指揮者・プレーヤー・聴衆が、三位一体となり....

聴衆の話はおいといても、プレーヤと指揮者が一体となるために、
今のような、古典〜ロマン派の大交響曲を演奏するシンフォニー
オーケストラという形態は、果たして適切なんでしょうか?
この形態は、エキストラや「いやいやつきあう団員」を伴わざる
を得ないのです。
だからこそ、「指揮者の人格」や「オケから嫌われている」は、
決して末梢の話題ではない。本質の議論ですらあるのです。

例えば、本当に宇宿に心酔する少数の人だけと、
「宇宿允人とカリスマファイブ(仮称)」みたいな、小編成のバンド
を組んで活動することなども、あり得るんじゃないのか。
なぜシンフォニーオーケストラの指揮者という形態にこだわらないと
いけないのか?
このあたりについて、宇宿ファンの方の意見を伺いたいものです。
ただ、聴衆オンリーの人にはわからない話かもしれないね....。