現代曲ってどうして駄作ばかりなの?

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425Hazumoerer
高橋悠治:そろそろこの作曲家にも、審判が下されるべきだ。
まず、留意しておかなければならないのは、彼の作品数はきわめて多数に上るとゆうことである。その上、作品の管理が行き届いているとはいえない。例えば、「大いなる死の物語」のように大きくないライブハウスで初演が行われている場合、作品を知る人間の数は少なくなる。私も知らない。そのような作品が確定スコアを持たず、演奏家に任せられた部分を多く持つのであれば、批評は困難をきわめてしまう。こういうスタイルで多作の作品を残されたら、音楽そのものは次世代には受け継がれない。
二つ目は、誤解されやすい文章を書く人であるということ。若い世代といっしょに音楽ができないといっておきながら、江村夏樹、野村誠と共演しているのはどういうことなのか?。このようなあやまちは今だけにとどまらず、昔から言い続けられてきた。だが、彼が年を取ったせいか、誰も文句を言う人はいない。
三つめは、人のやってないことなら何をやってもいいと言う、あの遊民性だ。クセナキスのパクリでやりくりしていたのも、ばれなかったから済んだということなのか?確かに当時はばれなくても、時間が経ってばれたらどうするのかという問いに、彼は答えない。今やっている身体性に基づく作品群も、数十年たてば誰かの真似だったといわれるのだろうか?現時点では答えは出ない。

この留意点に気をつけながら、彼の音楽を聴くべきだ。現在の彼の態度には、残念ながら共感できるものではない。「ばれなければいい」では、次世代の聞き手に通じない。