フーガの技法

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1名無しさん@お腹いっぱい。
私の持っているのはヴァルヒャのオルガン板
ムジカ、アンティクワ、ケルンのはあんまりいいとはおもわんかった。
オルガン以外の演奏でいいの無いかな?

あと、ヴァルヒャ以外の最後のフーガの補完したのなんてない?
2名無しの笛の踊り:2001/05/29(火) 22:17
補完ではバルシャイのがありました。
3名無しの笛の踊り:2001/05/29(火) 22:20
>ALL
どーでもいいことだが、あなたがた、バッハの曲ごとにスレ立てるの
いーかげん、やめてくれない??
他の作曲家のファンの人ってもっと節度あるよ。
4名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/29(火) 22:51
どーでもいいなら書くな。
5名無しの笛の踊り:2001/05/30(水) 06:38
>3
交響詩『海』でスレたてる奴もいるよ。青梅に見なさいよ。

リステンバルトなんかいいんじゃないの、たしか新旧二版あった筈。
フランスの室内オケかなんか振ってたやうな。
6名無しの笛の踊り:2001/05/30(水) 06:55
リステンバルの旧盤は良いけどCD化されてるか?
ピアノのニウコラーエワの旧盤も良いね、
手に入り易いのではミューヒンガーか。
確かにアンティクワ、ケルンのは俺も良いとは思わん。
7名無しの笛の踊り:2001/05/30(水) 06:57
>>5
バッハ嫌いは阿呆なんだから放置ね。
8名無しの笛の踊り:2001/05/31(木) 00:51
リステンパルトの旧は、海外でボックスで復活したって、レコ芸にあったけど。
カンクミやブルグと組です。
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルをつかっているんだよね。これ。
他にもフランスの管の名手勢揃い。

でもどこで売ってるの?なかなか見ない。
9名無しの笛の踊り:2001/05/31(木) 02:45
ケラーSQ
10名無しの笛の踊り:2001/05/31(木) 02:52
シェルヘン
11名無しの笛の踊り:2001/05/31(木) 03:01
12名無しの笛の踊り :2001/05/31(木) 06:32
>>1
妙なコト言うようだけど、自分で弾いてみてもいいんじゃないの。
あるいはシーケンスソフトで編曲するとか・・
世界でただひとつ、あなただけのフーガの技法を創ってみませんか。(笑
13名無しの笛の踊り:2001/05/31(木) 08:41
>>12
それ面白いかも。
14紅蓮:2001/05/31(木) 13:25
スイッチオンバッハのフーガバージョン。
やっぱグ−ル℃でしょ。シェルヘン、高橋悠治もよかね。
15名無しの笛の踊り:2001/05/31(木) 14:40
>>3みたいなのって、キモチワルイ。

ちなみにラサールSQのが好き。
16名無しの笛の踊り:2001/06/01(金) 06:23
ホールで感動を共有するというよりは、やはり自室で向かい合う曲ですね。
楽器の指定すらしなかったのに、出来るそばから出版させたという事は。

グールドのオルガン盤、面白いといえば面白いです。
17名無しの笛の踊り:2001/06/02(土) 10:09
>>3みたいなのって、キモチワルイ。age
18名無しの笛の踊り:2001/06/03(日) 04:38
19名無しの笛の踊り:2001/06/03(日) 04:47
20名無しの笛の踊り:2001/06/03(日) 04:50
21名無しの笛の踊り:2001/06/03(日) 04:50
22名無しの笛の踊り:2001/06/03(日) 13:50



23名無しの笛の踊り:2001/06/03(日) 14:04
そうですか
24名無しの笛の踊り:2001/06/04(月) 11:40
>>3
25名無しの笛の踊り:2001/06/13(水) 20:02
編曲盤意味ねー。
もともと鍵盤楽器のために作曲された曲を馬鹿な奴らが勝手に勘違いしただけ。
>>16
どーでもいーけどしったかぶる前に成立時期ぐらい調べたら?
26名無しの笛の踊り:2001/06/13(水) 20:41
人生いろいろ〜♪
好みもいろいろ〜♪

全部揃えちゃえよ。男だろ。
ヴァルヒャ〜シェルヘンまで。
最近アルテノヴァからも、
変な編曲の出てた。
27名無しの笛の踊り:2001/06/13(水) 21:02
 あ
28ジルバーマン:2001/06/13(水) 21:12
 スィングル・スィンガーズという連中が、「スキャット」で第9曲
をやってます。フィリップスの「ジャズ・セバスティアン・バッハ」
というアルバムに入っており、他にパルテータ第2番や、二つのバイ
オリンの・・までスキャットで奏でられているのだから驚きです。
 第9曲は、全曲中でもとりわけファンキーな曲だけに、スキャット
にアレンジされたものでも不思議と違和感なく楽しめるようです。
 また、ある意味オルガンよりも、各声部のメロディーが輪郭もはっ
きりと聞こえてくるし、それゆえに複雑に絡み合ったフーガの構造が
よくわかる演奏になっています。是非聴いてみてください。
29名無しの笛の踊り:2001/06/13(水) 23:10
>>26
>>28
蓼食う虫も好き好きっていうほどだから変な編曲集めてる人を止める気はないけどさ。
奇をてらっただけの編曲は音符がフーガの技法である必然性が全然ないし、時間と金も無駄だね。
人生とか好みがいろいろ合っても結局バッハの意志はひとつだけしかない。
30名無しの笛の踊り:2001/06/13(水) 23:31
聴くに値せぬ編曲のゴミに埋没させるにはあまりにも惜しい曲です。
31名無しの笛の踊り :2001/06/13(水) 23:59
蓼食う虫も好き好きだと本気で思っているのなら、
他人の趣味にケチをつけるのはおかしいね。
32名無しの笛の踊り:2001/06/14(木) 00:19
ベルゲルの演奏ってどうよ。
33>29:2001/06/14(木) 04:46
>バッハの意志はひとつだけしかない。

ではこの曲に対するバッハの意志とはどういうもの?
その意志に近い演奏はどれ?
34名無しの笛の踊り:2001/06/14(木) 14:36
>>33
クラヴィーアのために作曲されたことだけは間違いない。
35名無しの笛の踊り:2001/06/14(木) 15:05
結局このスレの意見を総合するとmidiが一番ってことね。オーケー。
36名無しの笛の踊り:2001/06/14(木) 15:13
>34
それはそう思うけど・・・
バッハって楽器だけ変えて結構旋律使いまわさないか?

28さんの言ってる9をスキャットでやるのは結構楽しいと思うけどね。
他はスキャットで聴こうとは思わんが・・・

バッハの魅力のひとつは演奏へのアプローチの多様性じゃないかな?
まぁ、こういう話をする引き合いにフーガの技法はふさわしくないけどね。

29に言いたいのは自分なりの真実を追求するのはいいんだけど楽しんでる人を不快にさせないで勝手にやってくれってことかな。
37名無しの笛の踊り:2001/06/14(木) 22:16
>>35
楽器をテキトーに4つあてただけのMIDIは最悪です。
強弱、テンポ、アーティキュレーション等も工夫してくださいね。
>>36
自編曲が多いという意味と取っていいのかな?
バッハは作曲するときも編曲するときも楽器の特性や演奏可能性はちゃんと考えた。
フーガの技法は二手で演奏可能なように書かれており、
また各声部の音域は自由なため当時の楽器で改ざんなしにアンサンブルは不可能。
二手で弾かせるためのやむを得ないオクターヴ移動を愚直にもそのまま
アンサンブルしている奴等は何も考えちゃいないことが良くわかる。
フーガの技法のようなタイプのフーガはバッハのアンサンブル曲にはオリジナルも
編曲も含めて見られない。バッハがフーガの技法でアンサンブルを意識した可能性は皆無だろう。

アプローチの多様性といっても結局はクラヴィーアのためにかかれた曲をクラヴィーアで弾くか、
それを見抜けずに無意味な伝説にに踊らされて編曲するかの2つしかない。

実際今日でも誤った解釈がまかり通っているのは残念ながら事実であり、
バッハの精神などどうでもいいという人がそれを聞いて不快に思うのなら
それはそれで仕方がないことだ。
だまされている人間に正しい知識を与えようというのはただのおせっかいか。
38名無しの笛の踊り:2001/06/14(木) 23:35
>>35
MIDIってなんだか知ってる?
音源はどうでもいいのか?
39>37:2001/06/15(金) 04:20
>フーガの技法のようなタイプのフーガはバッハのアンサンブル曲にはオリジナルも
編曲も含めて見られない。バッハがフーガの技法でアンサンブルを意識した可能性は皆無だろう。

これに関しては同感です。

>だまされている人間に正しい知識を与えようというのはただのおせっかいか。

やはりおせっかいだと思うよ。
頼まれたわけでもないしね。
アンサンブルで聴くのはだまされてる人間ときめてかかってるところも??
あなたがそれを伝える方法にも問題あるしね。
まず人を非難するだけのレスの29は納得いかないし不快だって言ってるんですよ。
第一29の何処が正しい知識を与えようとする姿勢なんですか?
フーガの技法がクラヴィーアの為に作曲された事には異論は無いしそれ以外を認めないのはそれはそれでありだけどだまされてるまでは言い過ぎじゃないか?
事実その辺の知識があってもアンサンブルはアンサンブルで楽しんでる人もいるでしょう?

基本的にバッハの精神を知っておきたいとは思うが常に尊重しようとは思ってない。
その辺は個人の勝手でしょ。
オレ自身も自分の勝手で普段はチェンバロしか聴かない。
がスィングルシンガーズもちょっと聴いてみたい。

>バッハの精神などどうでもいいという人がそれを聞いて不快に思うのなら
それはそれで仕方がないことだ。

バッハの精神を知りたいと思ってる人はたくさんいると思うよ。
バッハの精神を語る事は不快じゃない。
あんたの意見が参考になる人もいるだろう。
オレが言ってるのはあんたの言い方が不快だってこと。
是非ともご自身の知識を有効に活用してください。
40名無しの笛の踊り:2001/06/15(金) 06:23
フーガの技法の草稿が大譜表の体裁で記されているもんだから、
二手の為の作品と勘違いしている人が多いらしい。
では、初版はどうよ? 総譜…オープンスコアの体裁で世に出された
のではなかったか、バッハはこの作品を出版する事に異常な程
こだわり、一曲ごと、出来あがる度に版刻にまわした。
あのバッハが版刻の際、全く校正に関与しなかったとは考えられないではないか。

草稿がバッハの他のクラヴィア作品と同じ大譜表の上に記されている
からといって、フーガの技法が二手の為の作品だという根拠にはならない。
バッハが単に記譜の便宜上、そうした可能性があるからである。

フーガの技法初版には、何故か、第13曲の二台クラヴィア用異稿が附録として
添付されている。この異稿がバッハ自身の手によるものかは知らないが、
これは、フーガの技法を鍵盤楽器で演奏するということであれば、
二人の奏者、二台の楽器が必要である事を示唆しているように思われる。
41名無しの笛の踊り:2001/06/15(金) 23:11
>>40
それ以前の草稿については知りませんがベルリン自筆譜は総譜です。
大譜表でかかれた草稿は未完のフーガ以外は知らないのでご教示ください。
そもそもSATBのオープンスコアは鍵盤楽器用の対位法的作品の記譜法として
伝統となっていた。バッハ以前も、またバッハも鍵盤楽器用の作品に
この記譜法を用いている。総譜で書かれたことは鍵盤楽器曲であることを示唆している。
鏡像フーガのみ例外的に二本の手での演奏は困難(不可能というほどではない)だが
残りの全ての曲は二手で演奏可能なように書かれている。
もちろんそれが偶然ではなく作曲者の意図的なものだということは楽譜の読める人間なら
誰にでもわかるはずだ。(もし読めないのでしたらごめんなさい)
声部の転回を含む鏡像フーガは作曲技法上の困難から全ての音を9度圏に
収めることはできなかった。書くことさえ難しいのに、音の選択肢は非常に縛られ、
また、片方を取ればもう片方が弾けぬという具合で、一箇所を除いてドからミまで
届く手で演奏可能なことさえ奇跡的に思える。
2台クラヴィーア用の(これだって大譜表×2を短絡的に解釈したってことにならない?)
編曲は理論上は純度を下げるだけの付加声部がついている。つまり
二手で弾けない→2人使う→手が一本余る→自由声部を1声足す
というのが自然な推論だろう。

>一曲ごと、出来あがる度に版刻にまわした。
これは嘘でしょうね。
42名無しの笛の踊り:2001/06/15(金) 23:15
>>32
ベルゲル、演奏はともかく補筆には興味がある。
やたら長いわりには中身が薄い気もするが。
43名無しの笛の踊り:2001/06/15(金) 23:19
>>42
ありがとうございました。
ところで、グレイザー版ってCDあるんでしょうか?
44名無しの笛の踊り:2001/06/15(金) 23:40
>>39
フーガの技法のことをよく理解している方のようなのであなたのような人に逆らう気はない。
ただの愚痴だが知ったかぶった口をして学問的には否定された伝説をばらまく人間は
私にとっては常に不快の種だ。そして正しい認識がほとんどなされていないこと、
鍵盤楽器でほとんど演奏される機会がないことを嘆かない日はない。
おせっかいまでせずとも、せめて神話が拡大再生産されるのを食い止めたいと
いうのが私の曲に対する愛なのだと思う。

フーガの技法を理解した上でアンサンブルを「楽しむ」のと、鍵盤楽器曲であることを知らずに
アンサンブルを聴くのは大違いであり、後者ではフーガの技法の本来の感動を得ることは到底不可能だ。
45>39:2001/06/16(土) 03:12
よーするに
1、フーガの技法がクラヴィーアの為に作曲された事には異論は無いし
2、普段はチェンバロしか聴かない。
けど、
あいつら幸せそうだからほっとけってことね。
高尚ですねー
46名無しの笛の踊り:2001/06/16(土) 03:20
ちなみに、>>44さん、当然演奏した経験はあるんでしょうね。
4744:2001/06/16(土) 03:25
ありますが全曲制覇はしてません。
本当はチェンバロで弾くべきなんでしょうが手もとにないのでピアノです。
4840:2001/06/16(土) 07:53
版刻云々の話は音楽評論家Sの受け売りだ。
どうやら事実と異なるようなので謝罪するよ。
やはりこの作品を、未だに感傷的にとらえているところがあるらしい。

しかしながら、クラヴィア独奏の為の作品であるといわれても
やはりピンとこない。(但し、オルガンはのぞく)
第12曲、13曲の投影フーガには片手で10度以上の声部進行を
まかなわなくてはならない箇所がある。
第9曲二重フーガの新主題は明らかにトッカータ風の性格を持っており
それ相応のテンポで演奏するのは甚だ困難である。
長いオルゲルプンクトがバス声部におかれている曲がある等々・・
全部あげつらえばキリがないくらいである。

確かに、投影フーガ以外は独奏出来る可能性は残されている。
しかし、独奏するとなると指使いは甚だ綱渡り的なものにならざるを得ず、
そのような状態でアーティキュレーションや装飾音、ピアノの場合はデュナーミク
に至るまで十全の神経を払えるのかどうかプロの演奏家にしても疑問である。
小生、元来チェンバロという楽器を甚だ好まないのでありますが、
この曲のチェンバロ独奏による全曲演奏でこれはというものがあれば教えて戴きたい。
怖いもの見たさ、節を屈して聞いてみることにします。

この曲が、長いこと演奏され得ないパピアムジークとされてきたのも、
いわゆるとっつきの悪さが原因にあると思う。ピアノで独奏するには困難、
楽しく連弾する…サロンの曲では全くないし、弦楽四重奏では音域に不都合あり、
オーケストラのレパートーリーにしても採算が採れそうもない…。
この曲を取り巻く18世紀後半から20世紀初頭に至るまでの音楽的状況は、
現在でも大して変わっていないような気がする。
49名無しの笛の踊り:2001/06/17(日) 01:13
>>48
トッカータ風、オルゲルプンクトは別に他のクラヴィーア曲にもある性質なので
あまり説得力がない。私がつっついてみた経験では9番はわりと手にはまり弾きやすい曲で、
1分45秒で弾きこなしている録音もある。
難しいクラヴィーア曲であることがクラヴィーア曲でない理由にはなりえない。
バッハが「意図的に」二本の手のために書いたことは明白である。

>この曲が、長いこと演奏され得ないパピアムジークとされてきたのも
当初から20世紀に入るまでは鍵盤楽器曲として扱われてきたらしいが、
オルガンかクラヴィーアかの区別は曖昧だったようだ。「長いこと」は
どの程度のことを指しているのですか?

ピアノでの独奏は、確かに難曲ではあるが、こんなもの人間の弾く曲じゃない
というほどでもないだろう。
50名無しの笛の踊り:2001/06/17(日) 01:20
一応チェンバロの音源を上げてみます。
Gstav Leonhardt
新旧2つの録音を持っているが、聴いて楽しめるのは新録音。
国内版を買っておけば間違いない。
Davitt Moroney
Henle版の校正者による録音。彼の補筆もついてくる。
聴いていて面白いとは思わなかった。Henle版のオプションと考えるべきだろう。
Robert Hill
MAKでソロチェンバロを弾いていたが、全曲をチェンバロで録音したもの。
聞き流すためのMAKよりはずっと良い。

ピアノによる録音は後日。スペルミス御免。
51名無しの笛の踊り:2001/06/17(日) 01:30
>>48
>ピアノの場合はデュナーミクに至るまで
ピアノでバッハを弾くとグールドも指摘しているように
バッハの想定以上に難しくなるようだ。
5248:2001/06/17(日) 06:50
>>50 情報サンクス。では、レオンハルトの新盤を探してみましょう。
   状況によっては取り寄せと言う事になるやも知れぬが。

≫49
>私がつっついてみた経験では9番はわりと手にはまり弾きやすい曲で、
テンポアレグロで? 小生はテノール声部に主題がでるあたりで断念したが・・

例えば、平均率第二巻は第一巻に較べ、総体的に演奏容易になったと感じるし、
音楽の捧げ物の2つのリチェルカーレにしてもそれほど難しくはない。
晩年のバッハはクラヴィアフーガを演奏容易な方向で作曲する傾向があったと
小生は考えているわけで、その流れからすると独奏曲としてのフーガの技法の
とほうない難しさは理解しがたいのである。

公開での全曲初演が1927年だからである。
でも、モーツァルトがこの曲の一部を弦楽三重奏に編曲していたりもするわけで、
日のあたらぬ場所で細々と演奏され続けていたという可能性は否定しません。
53名無しの笛の踊り:2001/06/17(日) 20:24
ちゃんと自分の手で調べている方のようなのでまともな議論が期待できそうです。
>晩年のバッハはクラヴィアフーガを演奏容易な方向で作曲する傾向があったと
>小生は考えているわけで、
ベルリン自筆譜の成立は早ければ1730代ともされている。
ゴルトベルクでの演奏技巧の追及を考えればそれほど不自然でもないでしょう。
最晩年とされる未完のフーガはそれほど演奏技巧には走っていないと思う。
初版で始めて見られるコントラプンクトゥス4はわりと難しいが
これはグールドのテンポが速すぎるだけかもしれない。
9番は5,6,7,11に比べれば簡単なほうでしょう。
もちろんアレグロ。

>公開での全曲初演が1927年だからである。
グレーザーが誤解の根源というだけのことです。
54名無しの笛の踊り:2001/06/17(日) 20:30
クラヴィーア用の難曲という点では同意いただけたようですな。
重要な問題は、
1、バッハが演奏技巧を追及して難しい曲を書いた。
2、二本の手に収まる範囲内で頭だけで曲を書き結果難曲となった。
のどちらであるかということですね。

モーツァルトは平均律もsqに編曲していましたね。(偽作?)
ツェルニー版の存在を考えるとピアノでの演奏もされていたでしょう。
55名無しの笛の踊り:2001/06/18(月) 02:48
バッハのクラヴィーア曲の「公開初演」ってあるものなの?
メンデルスゾーンのマタイ復活演奏はともかく、
平均律やゴルトベルクやインヴェンションのなんてないんじゃない。
単にグレーザー版の初演ってことじゃ。
それともグレーザーがフーガの技法全曲演奏は俺が世界初だと言い張っただけとか。
5652:2001/06/20(水) 05:45
>>54
>クラヴィーア用の難曲という点では同意いただけたようですな
いや、半ば渋々同意、半ばは依然として疑問視、というところです。

例えば、“フランス風に”と但し書きのついた第6曲最後の5小節において
ソプラノ声部が2つに分割されるが、この際、右手だけでソプラノ、アルトの進行
をまかなう事は困難…いや、不可能であると言いたくなるくらいである。
ピカルディ3度の終止においてはバスのオルゲルプンクト上にテノールも3分割
されている…要するに、バッハのオルガン音楽の終止における書法と共通点がある。

まあ、当時は(オルガニストの練習用として?)足鍵盤がついたチェンバロ
(その形態すら想像出来ぬが)があったと、切り返されるかも知れないけどね。
フーガの技法は統一的意図が明白な作品であるのだから、
一箇所でも矛盾点が生ずれば、そのアプローチは成立し難いものであるとも思われ。
フーガの技法は…例えば4つのカノンはクラヴィア向きに感じられるとしても…
二手の為に意図的に書かれた作品ではないようにも思える。

私の勝手な想像では「この曲は演奏されなくてもいい、わかる者よ、わかってくれ」
という半ば捨て鉢な姿勢で、バッハがこの曲を世に問うたと思えるのである。
(実際、モーツァルトなどは譜面を読んだだけでこの曲を理解出来た、と思う)
当時、バッハは評論家(大昔からいた…w)等からは時代遅れの旧物と見なされて
いたわけだし、それを裏付けるかのようにフーガの技法初版の売れ行きは甚だ悪かった。

また、バッハという人は自身編曲を好んだ人でもある。
仮に、フーガの技法をクラヴィア独奏用として作曲したとしても、
それ以外のアプローチは絶対に許されない、と考えていたわけではないと思う。
むしろ、曲の本質により迫る事ができる編曲ならば、
原型より尊ぶタイプの音楽家だったと思われ。
57名無しの笛の踊り:2001/06/21(木) 20:42
Contrapunctus6でオルゲルプンクトを押さえ続けるのは
大きな手が必要である。が、実用上は77小節目で一度離し
78小節目で(テノールの音形を意図的に変えてある)
叩き直すことで全く問題ない。(オルガン手鍵盤のみでは無理だが)
平均律1巻20番にも類似した個所があるがこれは演奏不可能だ。
私はフスマンの出した足鍵盤用という結論には反対で、5,6、7番は
全て手鍵盤が前提と考えている。
6番に関してはこれを根拠にオルガン用と主張することはアンサンブルほど
的外れなことではないだろうがむしろこれだけの音域と声部が2手の範囲内に
収まっていることに作曲者の強力な意志を感じる。
演奏目的でないとしたらオクターヴ移動や音価の短縮までして二本の手に収めて
いる必然性を説明できない。当然のことだが4オクターヴの音域の4声の曲が
偶然2手に収まる事はまずない。二本の手という制約がなければ作曲は
はるかに楽だっただろうがバッハがそうしなかった精神は尊重されなくてはならない。
8度のカノンの終止は二本の手でなくて何を想定していたのだろうか。
反行と拡大のカノンでまだ余白があるにもかかわらず片手が空いている個所で
強制的に改ページさせたのは譜めくり以外に目的があったのか?
はっきりいうが52は無意味な誤解の産物を(信じ込んでいたことを)正当化
しようとして出鱈目なこじつけをしようとしているようにしか見えない。
フーガの技法の評論家の評価には肯定的なものが多かったようだ。
しかもそこからは当時は鍵盤楽器曲とみなされていた表現が含まれる。
58名無しの笛の踊り:2001/06/21(木) 20:46
「…ドイツは、真のオルガン及びフーガの国であり…」(マッテゾン)
「…完璧なまでに実用的なフーガ作品」(評論家ではないが、C.P.E.Bach)
59名無しの笛の踊り:2001/06/21(木) 20:53
37にも書いたがフーガの技法が自編曲の対象となった可能性はない。
クラヴィーア曲という曲の本質を理解できずにオクターヴ移動や
音のカットまで拾って楽器を4つ当てだだけの編曲ばかりが氾濫して
クラヴィーアでほとんど演奏されないいる状態は異常であると
いわざるを得ない。
52が例えばゴルトベルクでギターや弦楽合奏、ブラスバンドばかりを聴き
鍵盤楽器での演奏に興味を示さないというのであれば私が言うことは
これ以上はない。
6056:2001/06/23(土) 06:37
ハハ、いくら私だってゴルドべルクはピアノフォルテで演奏されるのが
最上と(次点・チェンバロ)考えているよ。弦三にもブラスにも興味はないね。
同様にSax奏者がブボッ、バボッと吹き散らす『チェロ組曲』は聞くも不快だし、
チェロ奏者が大汗かいて演奏する『シャコンヌ』も逝ってよし、と感じるのみ。
他楽器の為に書かれた楽曲がいかに魅力的だとしても、奏者の恣意的な越境行為
…彼(彼女)自身は大抵、挑戦などと称しているものだが…を許すものではない。

ただ、フーガの技法がクラヴィア独奏用の作品であると言われても、
未だにピンと来ない。クラヴィア二台用の異稿の存在や運指上の問題箇所
もそうだけど、では、これは一体誰に弾かせる目的で作られたものなのか。
平均律であれば、第一巻はフリーデマンやエマヌエル、第二巻(前奏曲の幾つかは
既にソナタ形式の概念で作曲されている!)はクリスティアン、ゴルドベルクは
その名をもった弟子の為に作られているわけで、フーガの技法の場合も
誰か特定の人物の名を挙げて貰わないとね。なかなか納得できません。
フーガの技法、『クラヴィア練習曲集第5部』にしてはあまりにも不親切すぎるよ。
6156:2001/06/23(土) 06:38
『フーガの技法』と『音楽の捧げ物』はともに対位法技術を追究した特殊な作品…
姉妹作品として一括りにする漂論家もいるけど、皆さんどう考えますか。
音楽の捧げ物の演奏はトリオソナタでは四種の楽器、カノンでは二挺の
ヴァイオリンと低音、リチェルカーレにおいてはクラヴィア(フォルテピアノ?)
独奏と、まあ、楽器用法の点からすれば種々雑多な曲集であるとも言えるのだが、
ならば、フーガの技法もその曲ごとの性格に適したアソート楽器編成で
アプローチする事もアリなのではないか、と思う。

例えば、第7曲は変形された主要主題とその転回形が、ママ・1/2・2倍という
三種類の音価によってフーガを展開するという、唖然とする程巧緻な対位法技術
によって作曲されているのだが、これほど複雑なテクスチュアを一台のチェンバロ、
独りの奏者が果して表現してもいいものだろうか? この楽器特有の急激な減衰音が
音価2倍に拡大された主題を表現するのに適当といえるのか? やはり疑問である。
私の場合、木管を主体にした室内オケによる演奏で第7曲を聴き、アッ!という感じ
でこの曲のテクスチュアが素人なりに理解できた。スコアも買おうという気になった。
クラヴィア独奏による提示であったなら、この作品が受容できたとは思えないねえ。

第11曲においても…もう、いい加減キリがないのでやめるが…クラヴィアフーガ
の枠にはとても収まらないような音楽であるということだけ言いたい。
62名無しの笛の踊り:2001/06/23(土) 08:44
あのねぇ、ゴルトベルク変奏曲はは彼が弾いたからそういう名前で呼ばれただけで
バッハがそうつけたわけじゃないんだけど。
63名無しの笛の踊り:2001/06/23(土) 08:46
>奏者の恣意的な越境行為
>…彼(彼女)自身は大抵、挑戦などと称しているものだが…を許すものではない。
とってもいいこというね。
64名無しの笛の踊り:2001/06/23(土) 08:49
56はとりあえずピアノで聴いてみるのがいいみたいだね。
7番はピアノが一番良くわかる。次にオルガン。
チェンバロではレオンハルトではきついがヒルやモロニーは
悪くない。
木管は聴いたことがないが弦楽は最悪。
65名無しの笛の踊り:2001/06/23(土) 08:50
7も11も意図的に二手のためにかかれた証拠はあるそうだけど、
書きましょうか?
66名無しの笛の踊り:2001/06/23(土) 08:52
捧げもののカノンの使用楽器も表記がいい加減だ。
余白の都合かもしれないが、私がキレル前に正確に書き直しといてくれ。
67トニカ:2001/06/23(土) 15:50
 フーガの技法というと、どうしてもグレン・グールドを連想して
しまいますが、随分昔NHKでモノクロ画像でグールドが第1曲を
ピアノでものすごくゆっくりと弾いている絵を見て、非常に感銘を
受けました。まだ若い時分のようで、頭を大きく上下に振りながら
弾いており、その都度髪がバサッ、バサッとなびき、カッコよかった
なあ・・・。そのときのグールドの姿はピアニストというよりも、
何だか「修行僧」みたいな印象を受けた次第です。
68名無しの笛の踊り :2001/06/23(土) 17:35
>>66 これは失礼。
トリオソナタ以外、バッハによる楽器の指定は無かったんだっけ。
ただ、3声のリチェルカーレは1747年ポツダム宮殿での御前演奏の際、
フォルテピアノで即興演奏されたという伝説があるので、一応書いてみた。
また、2声のカノン(1曲だけ4声)の中にCanon a2 violini in unisono と
但し書きがついているものがあるとウロ覚えしてたので、二挺のVn.と低音
とうっかり書いてしまったが、これがバッハ自身の但し書きかどうかは不明、
九曲(十曲か?)中には低音部のないカノンや、第2パートがVn.では演奏
不可能なカノンもある。尚、無限カノンはトリオソナタの編成で演奏される。
しかし、訂正しようにもこれ以上の事は全く知らないんだ、教えて下さいよ。

前に『オクターブ移動』と言ってた人がいたけど、これは1オクターブ上、
或いは下に置かれてしかるべきモチーフが、2手演奏の可能性を留保する為に
あえてママにされている、って事でいいのかな? それは、確かに感じなくもない…
ところで、当時の音楽作品の出版事情に詳しい人いますか?
私の貧弱な知識では、大作といわれるようなものが印刷される事はごく稀で、
ディレッタントが手軽に楽しめるような作品だけが売物になったという事だが…
要するに、バッハは初めから出版を前提として作曲していたため無理にでも
クラヴィア曲集の体裁をつくる必要があったのではないか、と考えるのである。
なるほど、巻頭第1曲はいかにも演奏容易につくられているではないか。
だが、作曲を進めるうちに思わず知らずクラヴィアフーガの枠から
はみだすような巨大な楽曲を次々と案出するようになってしまった…
オクターブ修正、2台のクラヴィア用異稿は一種の弥縫策とも考えられる。

まあ、素人が仮説を立ててもはじまらない。
とにかく、私はこの曲に関してはアンサンブルでの演奏を好むということです。
一応、チェンバロの演奏も勉強のつもりで聞いてみまーす。
CDを探す際、いかにこの曲が人気無いか、改めて思い知ったような次第(笑
69名無しの笛の踊り:2001/06/23(土) 21:36
>>67
グールドのピアノ演奏は好きだ。晩年の1,2,4,14番の映像、モスクワライヴの
1,2,4の音源、27歳の何とかというビデオにも1番が収録されているそうだ。
>>68
Canon a 2 Violini in unisono
は2台のバイオリンと低音のための3声カノン。
Canon perpetuus
はTraversa,Violino,Continuoの指示がある。
生前出版なのでバッハの意図したものと考えてよいだろう。
出版社の独断といわれればそれまでだが。
70名無しの笛の踊り:2001/06/23(土) 21:48
>>68
だからずいぶん前に成立時期ぐらい調べたらと書いたのに。
非常に大雑把であまり正確ではないかもしれないが、
まず1740ぐらいにベルリン自筆譜が成立。
その後バッハは各曲の改訂、曲順の変更、新曲の追加(4、未完、10度と12度のカノン)
をし出版しようとして出版前に死去した。
最初から出版を前提としていたとは考えがたい。
新たに追加された曲は二手で演奏可能で、この枠から出たのは
後にも先にも鏡像フーガのみ。
最初から最後までクラヴィーア曲として作曲されたのは明らかだ。
20世紀に発生した伝説を信じ込み矛盾を指摘されるとこじつけで
正当化しようとする姿勢は見苦しい。
71名無しの笛の踊り:2001/06/24(日) 12:44
そんなこと言ったって絡まり合った針金細工みたいに聞こえることがある
チェンバロ演奏よりは 器楽合奏の方が気分の時もあらあ。
なんだか不寛容と不充分の罵り合いは気分が悪い・・・
72名無しの笛の踊り:2001/06/24(日) 23:50
論点は好き嫌いじゃなくて作曲者の意図なんじゃないの?
これには寛容も何もないでしょ。
73名無しの笛の踊り
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