【大学教授】許光俊と鈴木淳史 第3巻【売文業】

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403Stereo Sound誌「音楽の誘拐」(9)
多くの善男善女が騙された。私にしても、つまるところ、彼が世に出るためにいいように利用されたのだろう。それも十年以上にわたってである。
しかし、そのことについては不思議と腹が立たない。というのも、自分はすべきことをしただけだという確信があるからだ。
たとえ大傑作でなくても、それなりに魅力がある音楽は認めるのが評論家である。才能のありそうな人物が世に出るのを助けるのが評論家である。もうわかっていることをわかっているように書くのが評論家の仕事ではない。
事実が露見したあとで、いろいろな人がいろいろなことを言っているが、今になってしたり顔をするのは、私には醜いことと思われる。
それにしても、新垣隆という人は、たいへんな十字架を背負ったものだ。あまりにも意気消沈した記者会見をテレビで見て、私は本当に胸が痛んだ。運命の歯車は情け容赦がないと思った。
そして、人づてに、特に弦楽四重奏曲第2番として発表されている曲は、とてもきれいな曲だとメッセージを託した。突然の騒動が起きた日、この悲哀に満たされた音楽を私は家で何度も聴いた。
404Stereo Sound誌「音楽の誘拐」(10) ラスト:2014/03/16(日) 07:45:30.62 ID:u4g2j/sV
やるせないのは、そもそも新垣には、調性の要素が強い音楽など書く気はなかったらしいことだ。もし佐村河内に頼まれなければ、このような音楽は生まれなかっただろう。この点にも、私は運命の女神の残酷を感じる。
結局、私は佐村河内とは一度も会って言葉を交わすことがなかった。もし会ったら、印象が変ったのかもしれない。
が、今頃そんなことを言っても詮ないことだし、そもそもそういったことに影響されたくないから、私は演奏家や作曲家とはできる限り知り合いにならないようにしている。これからは、手紙も受け取らないほうがよいようだ。
人間不信にならないかと人に尋ねられた。ならないよと私は答えた。人間は弱くて愚かで過ちを犯すものだともうわかっている年齢だから。騙したほうにも、騙されたほうにも、私は人間一般に対する静かで深い悲しみを感じるだけだ。