区別を対立と即断するあたりが単純というか浅はかというか
さすがニワカだね
教会旋法以外の旋法って五音音階とか?
相手のレスが無いのに連投するのは一種の精神疾患だと言われている。お大事に。
>>835 ジャズ系にいっぱいある、ただ上のはそういう話してたんじゃないけどね
>>837 そうなのか
コンディミとかオルタードのことかな?
旋法的和声
結局和声自体には旋法もくそもないんだけどね
841 :
名無しの笛の踊り:2015/02/15(日) 13:06:41.37 ID:EVkix3vn
強進行なのが機能和声で
弱進行なのが旋法和声じゃね
極めて乱暴な分類だけど
ショパンの和声って割と適当だよね
小節毎に和声になったり旋法になったり
知らんけど、ショパンの曲は音楽的に間違っているってことでいいんだよね
カデンツの連なりで構成されてるなら和声的?
>>844 言いたいのは理論的にだろ?
間違ってるってのは乱暴な言い方
ケルビーニの作曲法をガッチリ学んだ上でやってることだ
うわぉ・・
作曲家の数だけ書法がある
前にもだれか言ってたけどどうもこのスレが作曲家スレとか演奏家スレと同じ板にあるのはしっくりこないな
音楽理論を勉強するとかは作曲板だし
次は移動しようよ
そうだね
理屈的には非和声音だけどとても気持ちよく聴こえる音ってありますよね?
例えばドミソに対するラの音とか。
良く言えば牧歌的で歌心があるというか懐かしい感じがします。(悪く言うとイナタい)
これはもしかすると5音音階的で、日本人としてのアイデンティティを刺激するからかな?
属音との長二度のぶつかりが良いのか、根音との短六度が良いのか、根音からの短3度跳躍が良いのか・・・。
あと下刺繍に臨時記号をつける場合がありますが、特に属音のそれは好かれてますよね。
確かに気持ちよく聴こえます。こういうものの裏づけが知りたいです。
長六でした(´_`。)
+6=七の和音の一転
変化記号による導音化って教会旋法の時代から行われていたの?
それとも強い終止感を求めるようになったのはもっと後からの話?
旋法の時代にはムジカフィクタと呼ばれ使われてる
終止に関しては相当な昔から定形化してた思う
またいつもの古楽にうるさい人が・・・
嫌なら自分が回答すればいいじゃん
いやっつーよりおもしろがってるんだろ
古楽が面白いの?
>>855 へ〜そうなんだ。
あれをしてしまうと純粋な旋法の色合いが壊れてしまう気がするんだけど気のせいかな、終止感と引き換えに。
終止感が弱かろうが音階固有音の動きで終える方がその旋法らしさや統一感が生まれるのは間違いないよね?
だって最後だけ自然長音階や和声短音階みたいな音階の空気を流してることになるでしょう?
まさか教会旋法の時代からそうだったとは驚き。そりゃ長・短調に行き着くわなって感じ。
変化記号でいくつかの調や旋法を混ぜないと出せない空気もあると思うので目的次第ですが。。。
研究すればするほに、どつぼに嵌るのが音楽理論
>>860 グレゴリウス聖歌ですらb音が使われてるぞ
>>860 最後だけってのは大きな誤解。
ジョスカンとかの作品を一つでも見たことがあれば
そんな誤解はしないはずで、理論だけで語るべきことじゃない。
当時の作曲法に曲の途中での終止形回避方法が述べられてるくらいだ。
ていうかムジカフィクタが何なのか分かってねえよなこいつww
旋法音楽が必ず一つの旋法で作られてるって思ってるっぽいしwww
話にならねーだろ
つまりおまえも西洋における旋法音楽の時代に
曲の最後だけ臨時記号を使って調や旋法を混ぜるような
おかしな音楽が作られていたのだと思っているわけかww
他人を装った自己擁護ならもっと調べてからやってほしいものだな
867 :
860:2015/03/02(月) 20:00:10.20 ID:t6F2pyKw
「最後」という曖昧な表現で荒れてしまったことを謝りますm(._.)m
曲の終わりではなく終止カデンツを意図して最後と表現しました。。
日本語をやり直してこい
それまで二度とネットに書き込むな
どちらにしてもムジカフィクタは導音化だけではないので誤解。
そのことを話したいならもっと旋法音楽を学ぶべき。
その場合、導音は主音に向かう半音下と限定した話?
ていうか、導音はそういうものだ、といわれればそれまでだが
871 :
860:2015/03/03(火) 06:52:08.91 ID:6zIeUgcR
「導音」という言葉の定義がイケてないと思う
そこには'半音の動き'を特別視してしまった誤った音楽の見方をしてきた過去があるように感じる
自分の考えはこう。
例えば自然短音階の音階7番目を半音上げて「導音化」することがあるが、この表現にも違和感アリ
暗黙に、導音をもつ音階or導音をもたない音階という誤った差別化をしてしまい当たり前のことになっている
あえて「導音」という言葉を再定義するなら、"音階7番目の音から主音へ向かい終止する動き"としたい
同様に、「下行導音」を再定義するなら、"音階2番目の音から主音へ向かい終止する動き"としたい
もしくはその音階が終止する動きを全て導音といいたい 元の音階から外れるムジカフィクタの考えはまた別です
何が言いたいかというと、この動きが半音だろうが全音だろうが(半音+全音)etcだろうが、それがその音階の「真の導音の動き」とよびたいのです
一応7音音階の話。
更に大きな歴史的間違いは、度数の表現法にも及ぶと思っています
例えば和声的短音階等の「増2度」の動きを嫌ってきた歴史がありますが、もしこの音階に故郷がある民族がいたらどう思うだろう
彼らにとっては心地よい順次進行の2度の動きを、余所者の音階からのモノサシでもって「増」だといって嫌うわけですよね
それどころか臨時記号をつけて旋律的先進国が侵略(大げさですが)までしてしまいます
5音音階民族の順次進行を余所者のモノサシで跳躍と見るのもダメでしょうし、
民族音階や5音音階・8音以上の音階等にも真の導音とよべる音の動きはあってしかるべきだと思うわけです
ミクソリディアン等の弱い終止感こそが黒人音楽の良さであり終わらない音楽の理由だったりしますよね?
導音なんて言葉がなくても良いとも思いますが、とりあえず日本における音楽教育や音楽用語の意味合いが西洋万歳すぎやしませんか?
いいね。独自のやり方を作るのは個人レッスンにおいては素晴らしいことだと思います。
作って公開して広めてみれば良いと思います。
ただし、理解のために独自の用語を覚えるからには、すでに普及している用語もきっちり覚えないとね。
>>871 そもそもそういう持論を展開するために
たいして理解もしていない古楽への批判からはじめる意味がよくわからない。
まあそれはさておきもともと西洋音楽も五音音階に根差しているのはご存知の通り。
西欧諸国にそうした民謡が生きているので別に否定とか排除されたわけじゃない。
特定の環境の中で発展した音楽の一つがいわゆるクラシック音楽というだけの話。
日本でも演歌という形で民謡の音階が息づいているし
カラオケでクラシック歌うやつなんて多くはないだろう。
クラシック音楽を学ぶからその用語や定義に従うことになるわけで、
民謡を学ぶためにクラシックの用語や定義を捻じ曲げる必要なんてあるはずがない。
それは英語を学ぶためにイタリア語の文法を独自に定義しなおすようなものだよ。
民謡を学べばいいじゃないか。西洋音楽の五線譜=モノサシに当てはめる必要なんかない。
独自の譜面があればそれを読み、口伝されてきたものならその流儀に従えばいい。
ただ、こういう(裏)公の場所だし
スレタイにクラという限定はあるものの
客観的な考察素材としてはいいと思う
それこそクラ書法や形式の外を排除してしまうと
客観的になれないしさ
875 :
名無しの笛の踊り:2015/03/04(水) 09:25:56.41 ID:ofK5vjdu
導音は動きではなく音の名前であるから
>>871は置いておいて
英語のウィキペディアでは導音は上にも下にも半音で解決する音だってさ
日本のwikipediaでは上に解決になってるね
より狭義に言うならトニックへ導きたいことは関係なくダイアトニックスケールの7度だって
Kurthによると長短3度にはそれぞぞれ完全四度と全音の方へ進む隠れた傾向があり
それが調性をつくるのだって
けれどもDahlhaushaによるとこの推進力は実際には和声機能や他の声部のルート進行が全音か5度か
あるいは旋律的であるかという事を使ってスケールの脈略によって作られるのだって
例えばCとFmコードの一つおき交互の導音は
もしFがトニックならEがFに導かれるか
もしCがトニックならAbがGへ導かれるのどちらかでしょ
14世紀から15世紀の西洋音楽によれば導音は不完全から完全な協和への進行で作られるんだって
長3度から完全5度とか短3度から1度とかのようなね
その不完全協和の導音の外側の完全協和と同じ音程は導音じゃないよ
導音はダイアトニックスケールの7度だよ。トニックとのきょけりが半音のときはね
ミソクリディアンのような半音ではないときは導音じゃなくてサブトニックト呼ばれるんだ
876 :
名無しの笛の踊り:2015/03/04(水) 09:48:02.91 ID:ofK5vjdu
wikipediaによると音楽理論家の間ではサブトニックと導音の使い分けは少なくとも20世紀の中盤からされ始めたようだ
それまではサブトニック=導音であったらしい
今でははサブトニックはトニックの下、特に全音下の音を示すのだよ
>>871の考え方は19世紀の理論だな
877 :
名無しの笛の踊り:2015/03/04(水) 17:58:04.45 ID:23bdID7a
>>871も
>>875も長い割りに話の発展性も内容もないな・・・
黒人音楽も西洋音楽が元だし、導音も使う。ほんとにやったことあるの?
なんか話の内容ガバガバというか、正直なにいってんだこいつ状態。
お、ちょっとだけ教会旋法とルネサンス音楽の話になってるな。
ちょうどいいからむかし勉強中に考えてたことを書いとくわ。
>>877から見てどうよ。これはガバガバ?
ルネサンス音楽は機能和声以前の旋法的な音楽だと(図式的に)位置づけられ
ることがあるけれど、じっさいにはその初期の時点でかなり機能和声的な側面
が現れている――三和音、ドミナントモーション、長音階と短音階――という
のは、現実の楽曲に触れてみればすぐにわかる。いっぽう現在の視点から見た
ときに、ルネサンス音楽のスタイルの中でもバロック・古典派音楽には現れに
くい要素が「ルネサンス音楽らしさ」を規定しているというのも事実だ。だか
ら、ルネサンス対位法の課題をするときに手ぐせでバロック・古典派的な進行
のみを書いてしまうことを避けて、わざとらしくバロック以前を強調するため
にはどうしたらいいか、みたいなことを考えたことがあった。
[1]フリギア旋法(フリギア終止)
ルネサンス音楽の「旋法」はすでに長音階・短音階にかなり近い。たとえばリ
ディアンはムジカフィクタによって第四音(シ)がほとんど常に下がるので、
実質的に長音階と変わらないし、ミクソリディアンやドリアンも導音が上がる
ことによって長音階・短音階との違いは微妙なものになる。近代に入って再び
教会旋法が注目されたときには、ムジカフィクタのない生の旋法がそのまま古
典的な進行を置き換えたようなスタイル(いわゆる旋法和声)が流行ったけれ
ど、つまりこれはもともとのスタイルとはだいぶ違っている。唯一、フリジア
ンだけは長・短音階と決定的に異なっていて、ムジカフィクタがないし、導音
が上にあって通常のドミナントを作れず、独特のカデンツが現れる。フリジアン
だと意識しなくてもルネサンス音楽のスタイルに沿いやすい。
[2]空虚五度、八度
空虚五度はバロック以降にはほとんど現れない(じっさいには、ルネサンス中
期の時点でも終止以外は三和音が多いが)ため、多用するとバロック以前の雰
囲気が出やすい。
[3]ランディーニ終止、二重導音終止
ランディーニ終止はバロック以降はほとんど使われなくなったせいか、使うと
それだけでルネサンス音楽らしくなる。二重導音終止も似ているけれど、これ
はさらに古いスタイルと言うべきかも。この二つは、近代でも古楽を研究して
いた作曲家たちがわざとらしいくらいに使いまくっていた。
[4]V-IVその他弱進行
V-IVは機能和声では避けられるけれど、ルネサンス音楽の様式では(対位法の
規則に反しない限り)問題ない。上で述べたように、じっさいにはルネサンス
の時点で古典的なカデンツへの志向はかなり強いけれど、あえてV-IVとかを多
用するとそれっぽいんだろうなと。
あと、ネットでスタイルの比較表を見つけたんだけど、よくまとまっていておもしろかった。
http://people.emich.edu/dpierce/Med_Ren_table.html
初心者質問スレでも聞いたのですが別のスレを進められたのでこちらで失礼します。
芸大和声の記号についての質問です。
長調において、V度調の同主短調のI、
すなわちC:におけるGBDの和音は
どのように記号付けする事になっていますでしょうか?
丸の記号はC:の曲でc:の和音を借用する事を示すのだから
◯Vではc:のV、すなわちGHDになってしまいますよね
実際◯V9根省ではHDFAsですし
準V度調のIということで
◯V
I
のようになるのでしょうか?
また、もし芸大和声に書いてあれば該当ページを教えていただけると助かります。
調べれば分かる事で申し訳ないのですが
諸事情により今芸大和声に直接当たれないので
どうかよろしくお願いします。
要するにエオリアのVだよね?
総合和声には-Vって書いてあったよ。
芸大和声でVmって出てきたっけ
>>879 あなたも言っているように実際には[1]〜[3]の盛んに用いられた時期が違うので
古めかしく作られた様式ごちゃまぜの仏像を思い出すよw
らしくはなるけどアルスアンティカもアルスノヴァもルネッサンスも
一緒くたというのはさすがに乱暴すぎるかもね。