関西から遠征してきた。明日も他のコンサートに行くので今はホテル。マーラー6番はアルミンク指揮で
PACオケ(兵庫芸術文化センター管弦楽団)が10月に西宮でやっていたのでそれにも行っていた。1楽章と2楽章に
ついてはPACオケの方がよかった。マーラー6番を一貫して美しくというコンセプト?で通していたような演奏だった。
それはそれで観客も美しい曲を聴けたということで不満はない雰囲気だった。でもずっと最後までそれではもうちょっと
大胆な表現があってもという気は自分にはした。
都響の1楽章と2楽章はなんかチグハグな感じがした。3楽章になって一変して雰囲気を変え美しさを表に
出してきた。そして4楽章ではたぶんこれがインバルって表現でしめくくったのだろう。(インバルは2回しか
聴いてないので推測で書いている。)とにかくスケールの大きな演奏で最後にこれをやったら観客が喜ぶだろうと
いうインバルの計算の中でやっているように思えた。演奏が終わったら観客の反応は物凄かった。観客はまさにインバルの
手のひらの中って感じなのだろうか。
自分はインバルタイプの演奏よりも90歳の指揮者のスクロヴァチェフスキの演奏が好きだ。2年前に大阪でドイツのオーケストラと
来た時にやったブルックナー4番が自分にとっての最高の演奏だったので今年の10月に同じ曲を読響と東京で2回やるというので
両方に行って来た。とにかく誠実に最初から最後までやりきる演奏だった。どっちもよかった。でもスクロヴァチェフスキの演奏は
自分のようにとことん集中して聴く人間には高評価のようであるがそうでない人にあまり魅力のない演奏に思うようなことも
あるらしいことがいろんなブログなどを読むことでわかった。インバルのように自分から観客をひきよせるような演奏の方が
やっぱりインパクトが強くて信者も多くなるのかもしれない。まあそれもそれで悪くはない。オーケストラは客に来てもらって
なんぼの世界だかだ。